■菜々と夕美のSRS旅行記■


ななゆみBLOGにも載せているSRS日記を抜粋したものです。 BLOG形式だと読みにくいというご意見がありましたもので…^^;

2005年11月13日
きっかけは…


夕美は、とある貿易会社の事務職員。
菜々は「女性ドライバ〜」として運送会社に勤めていました。

え?なんで「トラック」って?それは…SRSに行く為の資金を貯める為です。
いつか必ず2人でSRSに行こうとがんばってきていたのでした。

幾多の困難を乗りこえて、「このままいけば年明けには何とか手術にいけるかもしれない」というところまでこぎつける事が出来ました。
…ところが、トラブル発生。

11月の初め、菜々は仕事で神戸にいました。トラックの荷台で作業中に転落、商売道具である左腕を骨折してしまいます。近くの病院に駆け込むと、診断は「全治6週間」。菜々の収入が途絶えてしまいます。
追い討ちをかけるかのように、夕美の会社が1月末の決算までに「たたむ」という話に…。

困った事態になりました。このままでは、SRSに行く日がまた遠ざかってしまいます。二人とも途方にくれてしまいました。
途方にくれたのは一瞬だけですけどね^^;2人ともそういう性格なのです。
まあ悔やんでいても仕方がない。

ちょうど菜々は骨折で、食事も作れない、風呂掃除も出来ない状態。
時間はたっぷりあるのだから、ここは開き直って怪我が治るまでとりあえずSRSの下調べ&準備をしておこうという事になりました。

さっそく、手術を済ませた友達に話を聞いたり、ネットで体験談を読みあさりました。
ところがSRS済の人たちに話を聞いても、口々に「自分の行った病院はよかった」と言うばかりで、あまり参考にはなりません。考えてみれば、何度も手術を受ける人なんていないのだから当然ですよね。

さらに資金の問題は、一番気になるところです。
SRSをしている病院のサイトを見ると、手術代金はUS$6,500〜US$5,000までと、かなりの幅があります。
1ドル=120円で計算すると、だいたい78万円〜60万円。
さらにアテンダンス会社に通訳と手続きの代行を依頼すれば手数料がかかってきます。

自力で連絡をとって行くのか、それともどこかのアテンダンス会社に頼むか…。
当然タイ語はわからないし、なにしろ2人とも初めての海外旅行だし…不安でいっぱいです。

なにはともあれ、まず電話してみよう。


まず1件目。友人はここのアテンドでSRSをしていました。
しかしHPを見ていて気になるところが…。
病院のHPを見ると手術代がUS$5,600になっているのに、そこのHPでは\890,000-…??
計算が合いません。$5600 x 120円 = 672000円($1=120円で計算した時)
さらにアテンダンス料金他を上乗せしてトータルで倍の金額。
電話をかけて確認をしてみると、対応はとっても事務的。

「2人同時に行くので割引はありますか?」
という質問にもあっさり
「出来ません」
とのこと。
ってことは2人で300万近く??
まったくもって問題外。

zzzzzzzzzzzzz そして2件目。ここはいくつかの病院をアテンダンスできるみたいです。
病院の料金も正確に載せてありました。これならどこの病院でSRSしても100万円以内で終わりそう。
先ほどとの違いにあやしみながら、とりあえず電話。Skypeのアドレスがあったので、相手がオンラインになった時を狙って電話してみます。…電話口に出た方と話してみると、なんだか怪しい日本語に聞こえる…。
「この人はどこの国の人なんだろう?」と思いつつ話をすすめると、なんと茨城出身の人で、タイに渡ってから10年経つそうです。
しかも今からだと11月末には予約が取れるかもしれないという話… ??

「うそ!そんなに早く?」

ものすごく戸惑いました。手術に行くことに対して躊躇はないけど、10日程度でいろいろ準備できるかなぁ?
とにかくまた連絡しますといって、Skypeを切りました。


その晩、2人でいろいろ相談しました。
一番問題の資金については、先ほどの話でぎりぎり何とかなりそう。

結局、夕美の休みがとれるかどうかということになりました。
明日会社に確認をすることにします。


2005年11月14日
数字で頭痛

夕美の会社に確認をしたところ、休みが11月末からとれることになりました。

早速、昨日のアテンダンス業者の方にSkypeして申し込み。
「病院を選択してください」
と言われ、結局選んだのは、PAIのDr.PREECHAでした。
いろんな人から病院の情報を聞いていましたが、最終的にこの病院を選んだのは、単なる「直感」によるところです。

手術予定をPAIに最終確認し、明日また連絡をもらうことになりました。


それから現時点で持っているお金を正確に数えます。
7月にタバコを止めてから貯めていた貯金箱の中身もあけ、とにかく全てのお金をじゃらじゃらと集めます。ちなみにこの「禁煙貯金」。以前は2人で1日に3〜4箱吸っていたので、貯金する額も1日にだいたい1000円〜。中身を見ることができないように封印してあったのですが、4ヶ月半で13万も貯まっていました。

給料日なども考慮に入れ、

パスポート取得費用
航空チケット代
諸経費
帰国後の生活費


など細かく計算して、一応なんとか足りそうな感じ?
最悪、足りないときはカードを使う事にしました。
あとは明日の連絡次第ということになります。

2005年11月15日
早速行動


昼過ぎに担当者さんに確認したところ、「11月末の予約OK」とのことで仮予約をしました。
さ〜、日程が決まれば即行動あるのみ。

先週「時間があるから今のうちに…」と申請していた菜々のパスポートを受け取る日だったので、土浦駅のパスポートセンターへ取りに行くことにしました。
「とりあえずSRSに行ければいい」ということで、申請したパスポートは5年更新のもの。

そのついでに航空チケットを少しでも安く買えないものかと駅近くのHISに行ってみたのですが、電話で聞いていたJTBの値段と全く同じとのこと。値切り交渉してみたものの、15分くらい待たされて結局「無理です」とのことでした。
各方面に聞いて精一杯のことはしてくださったので、印象はとてもよかったですよ。同じ値段ならこちらでもよかったかもしれません。

2005年11月16日
健康診断&HIV検査ほか


朝一番で、かかりつけのお医者さんへ。
「健康診断B」「HIV検査」を受け、「推薦状(診断書)」を英文で書いてもらうようにお願いしました。
検査結果は後日出るということなので、11/24日に取りに行くことにしました。

その後チケット購入のためにJTBへ。(実は昨日定休日で買えなかったんです)
「オープンチケット(帰国日未設定)であっても、帰りの日付をいったん確定しないと入国ができない」
とのことで、予定の日付よりも1週間長めの日付を設定。それから待つ事30分。
…なかなか終わりません。

なんだかお店の人が奥で、もぞもぞとこっちを見ながら困っている様子。
たまにこっちのカウンターに来ると、書類を床にばさーっと落とす始末。そんなに動揺しなくてもいいのに。
改名はしているけどパスポートの記載から性別はばればれだからねー。時間がかかったのはそのせいっぽい。

結局、チケット代の他に「燃料代」や「空港使用料」なども含めて、2人で13万ほどでした。

それからアテンダンス料金を振り込んで本日は終わりです。

2005年11月17日
ひまつぶしを買う


今日は菜々の骨折の検査が入っていたのですが、「レントゲンなどでお金が足りなくなると困る」ということで行きませんでした。っていうかぁ〜、もう、あまり痛くないしぃ〜。

その代わり本屋さんで

旅の指さし会話帳〈1〉タイ
タイのガイドブック

あと病院で寝たきりになるので、

暇つぶしのための文庫本4冊、
ナンプレ(ナンバープレース、数字パズルの雑誌)

などを買って帰りました。

2005年11月18日
仕事に区切り


昼すぎから菜々は、
「ケガの療養のために当分仕事が出来ないから会社を辞めさせてほしい」
と社長のところへ話しに行きました。

ところが、「いつでも戻ってこれるように席は残しておくから」と社長からの温かい言葉。

ひとまずトラックに置いてあった荷物を片付けて帰りました。

2005年11月19日
旅行かばん


夕美は今日は突然仕事で東京へ。本当は休みなのに…忙しい。
せっかくなのでついでに買い物をしてこようと菜々もついていく事になり、車で出かけました。

お昼過ぎに仕事が終わったので、帰りに旅行かばんを見に行くことに。
ホームセンターで手ごろな値段の旅行かばんを購入。
家に帰って3桁の暗証番号をセット、ふたを閉めて鍵をかけようとしたら…、

あれ?
なぜか鍵が鍵穴に入りません。

書いてある数字を見ると数字が違う!どうやら違う鍵が入っていたようです。

書いてあった製造元にすぐに電話。
とても親切な対応で、「すぐに正しい番号の鍵を送ります」とのこと。
よかった、よかった^^

2005年11月20日
買出し1


午前中に夕美は牛久の大仏へお墓参り。これは旅行前だからというものではなくて、毎月の行事なのです。

その後、小物類の買出しに「しまむら」「ユニクロ」などを回りました。
たすきがけが出来るバッグ、パジャマ、ショーツ、などなど買って帰りました。

昼過ぎから夕美の頭痛がひどくなりほとんど動けず。薬を止めているせい?
夕美は、ホルモンをはじめてから7年。半年前から薬がほとんど効いておらず、ずっと更年期状態だったのでした。
この半年間慢性的に頭痛が続いていて、1、2日おきに鎮痛剤のお世話になっていました。
それにしても今日の頭痛はかなり強烈。あんまり痛くて吐き気までする。
どうしても耐えられず、車が動いても気分が悪くなるほどだったので手術前は一切の薬を止めなければいけないはずが、痛み止めなどいろんなものを飲んでしまいました^^;

2時間くらいで痛みがおさまったときには、「結局なにが効いたのかわからない」状態。こういうことって…あるよね?^^;

2005年11月21日
前借


菜々、会社に給料の前借をお願いしに行きました。本当に無理言ってすみませんです、ハイ^^;
集められるだけ集めておかないとね。

2005年11月23日
買出し2


日曜日の買出しの時、夕美の体調がよくなかったので今日はリベンジの買出しです。

まずはイトーヨーカドーでお買い物。
ショーツがたくさんあって安い!一枚200円程度で種類もいろいろありました。

それから術後は食欲がなくなるらしいので、ウイダーインゼリーを4個。

目覚し時計もあったほうがいいかもと思い、購入。もう必要なものはないかな…?

2005年11月24日
検査結果出た


先日お願いしていた推薦状が出来る日です。

2人で病院へ書類をもらいに行く予定だったのですが、夕美が急遽仕事で東京へ。
菜々が2人分を預かってくる事になりました。

先生に書いていただいた推薦状は、「これまでの経緯」と「健康診断の検査結果」そして「SRSが必要であると思われる」等が英文で書いてありました。A4の紙にびっしりと書かれた英文。先日受けた検査結果もまとめてあり、下には先生のサイン。
先生に話を聞くと、「今までに書いたことのない形式」だったので、昨日の休みの大半を使って調べながら書いてくれたのだそうです。本当にありがとうございました。

*ここはつくば市にあり、内科・産婦人科・皮膚科・心療内科などがひとつの建物に入ってる病院です。GIDの患者さんは私たちだけなのですが、内科の先生が内分泌系の専門ということでお願いして診ていただいてます。

手術を受けるための推薦状や診断書って、精神科医や、心療内科医の先生でなくてもかまわなかったんですね。今回の件を調べてみてはじめて知りました。

2005年11月25日
給料日


今日は夕美のお給料日です。
11月末〜12月はじめに引き落としのある分をぎりぎりで残し、全て引き出しました。

これで今回の予算がすべてそろいました。すべてかき集めて200万近くしかありません。
なんとかなるよね〜…ってかなんとかしないと!!

2005年11月26日
最終買出し


荷物の最終チェック&買出しです。

コットン
ウェットティッシュ
歯ブラシ・歯磨き粉
携帯充電器
メモ帳


あとなにがいるのかな〜。
「充電器」は、携帯をデジカメ代わりに使うので、単3電池2本で充電できるものにしました。コンセントを使おうとすると、変圧器が必要になってしまうため却下。最後まで持っていこうかどうか悩んだ「ノートPC」は、荷物を出来るだけコンパクトに済ませるため結局断念しました。

持って行く洋服は夏物なので思ったよりも「かさばらない」。ただ、術後はズボンを履けないだろうと考え、すべて「ワンピース」か「スカート」にしました。

全てのものを旅行かばんに詰め込んで準備完了です。


最後に、200万円近い大金をどうやって持っていくのかが問題です。バカボンパパみたいな腹巻があれば中に入れていくのですが…。考えた末、次のようにしました。



小さい袋に紐を縫い付けさらにゴムひもを「輪」にして縫い付ける。首からかけて体にゴムひもで巻きつける。


とにかく他の物はなくしてもお金は絶対に落とすわけにいきませんので。

なんだかものすごく緊張していますが、よく考えれば「飛行機で行くから」緊張するのかもしれない。もしもタイまで車で行ければ、こんなに緊張はしていないような気がする。そうだ、きっとそうに違いない。
…と、どうでも良い事を考えつつ…明日の朝は早いので、早めに寝る事にしました。

2005年11月27日
いよいよ出発の日


4時半起床。

着替えてお化粧して、5時半に姉が迎えに来てくれて、いざ、成田空港へ出発です。

子供たち(いぬねこ)との別れが名残惜しい…。
留守中の面倒は姉に看てもらうことになりました。アルバイト代を渡して^^


早朝の成田までの道のりは霧が出ていて幻想的でした。
さすがに道路はがらがら。1時間であっという間に成田空港へ到着です。

姉と入口で別れてターミナルの中に入りました。

タイの気温に合わせてなるべく涼しげな格好をしていたので、寒いこと寒いこと!



JTBでもらった説明書で確認すると、チケットを受け取る受付、Gカウンターは7時半からオープン。まだ50分くらい時間があるので、2Fのカフェでサンドイッチ&コーヒータイムです。


7時過ぎになると、「それらしき場所」に行列が。
「Fカウンターから列が伸びてるけど…」
「JTBって書いてあるからここかも?」
というわけで並びます。

10分ほど並んでチケットを確認する女性のところにきたら、「このチケットの窓口はあちらです」と冷たく言われてしまいました。
「はぁ〜?なに〜!また並びなおしぃ〜?」

指摘された「あちら」のGカウンターにはまだ誰もいなくて、またしばらくその場で待機。

7時45分頃やっと受付の人が来て、無事にチケットをもらうことが出来ました。



まだまだこれで終わりではありません。
そこから「最長の距離」にあるシンガポール航空のAカウンターまで歩いていってチェックインしなければいけません。
ええ、すっかりあったかくなりましたとも。おかげさまで^^;

ターミナルを右往左往しながらもチェックインして荷物を預けたら、だいぶ身軽になりました。

それから先方のtakeさんへのお土産選びです。いろいろ考えた結果、カステラを持っていく事に決めました。


出国審査のゲートもすごく人が並んでいます。
そこを通過して、右へ進むと免税店の立ち並ぶスペース。たばこが定価じゃないのでなんだか変な気分。

それにしてもなんでも売っているんですね〜。
先日観たトムハンクスの「ターミナル」という映画を思い出しました。


さらに奥まで進んでやっとシンガポール航空の乗り場へ到着。
搭乗の順番はエコノミーなので、一番最後。どうせ一般ピープルですからしょうがないですよ!!ふん!


飛行機に乗り込み席につくと、菜々は久しぶりの飛行機でかなり緊張+ハイテンション。
落ち着きがなくきょろきょろしています。
誰が見ても海外ははじめてですって感じに見えたに違いない。


さていよいよ離陸。

今度日本の地に降り立つ時はどんな気分なんでしょうか?
二人の期待と不安をのせて飛行機は飛び立ちました。


THE END









って終わらない、終わらない!!

さて上空に上がると、機内はとっても寒いです。ちょっとエアコン効きすぎ!?
ってか外気温は氷点下ですよね。毛布1枚じゃ足りないよ〜。


夕美は冷えたせいもあってか、頭痛がとにかく酷くて体が悲鳴をあげていました。



それぞれの座席には液晶画面とコントローラがあり、映画やらゲームやらあるけど、どれも英語だしいまいちです。


眼下に日本の地が見えなくなってしばらくすると食事の時間です。
メニューから「和食」を選択したのですが、出てきたのは…



あやしい光沢を放つ緑色の「そば」
どうしたらこの味になるのかという「めんつゆ」
味のしないご飯
その他…



とても不思議な「和風?的」食べ物でした。
次回は必ず「洋食」もしくは「いらない」とはっきり言おうと心に誓う二人でした。


見渡す限り海と雲、上を見ると「宇宙がすぐそばにある」という感じで暗い空が広がっていました。


さてさて菜々はわからないながらも映画に見入っています。夕美は熟睡出来ずに、うつらうつらしながらの6時間ちょっと。


ついにバンコクの町並みが見えてきました。日本と違って、同じかたちの建物がズラーっと並んでいます。
「わ〜。なんだかシムシティみたいだね〜」


そしてついに着陸です。

窓の外を眺めていると…
なんと空港の中のスペースに「ゴルフ場」。羽のすぐ横に「グリーン」があるよ〜。なんじゃこりゃ。
踏切みたいなところもあって、人や車が飛行機が通り過ぎるのを待っています。
まるで絵本かなにかの世界を見てるみたい。
成田のあのものものしい警備体制とは雲泥の差です。やはり暖かい国、とってもオープンなんでしょうね〜。


やっとターミナルに着いて飛行機を降りると…。もわ〜っと熱気が。
「暑い〜!!いきなり化粧がはげる〜!!助けて〜。」
ひとまずトイレへ。トイレのマークは日本と一緒なのでわかりやすい。


そして一本道をただひたすら歩く。歩く。歩く。

……
まだ〜??


菜々「ねぇ、もしかして行き過ぎてない〜?英語わかるんでしょう?」
夕美「さ〜…よくわかんない…」
菜々「え〜??どうするの〜いきなり迷子??」


英語もよくわかんないけど、まあなんとかなりました。



バッグのマークの書いてある「Baggage Claim」と書いた看板付近で行列を作っていたので「おそらくここだよ」と夕美。
「Foreign Passport」と書いてある列に並ぶ事にしました。
違ったらなんか言ってくるだろうし。なんとかなるよ。たぶん^^;


20インチくらいのTVが天井からぶら下がっていたのだけど、天井ごと落ちてきそうにゆがんでいます。
「もしかして、去年の地震のせい?」などと思っていたのですが、後で聞いたらどうやらずさんな工事のせいみたい。


そのまま40分くらい待ったかな?カウンターの前に立ち、パスポート&入国カードを渡して、「目玉親父のようなカメラ」を睨みながら2分ほど直立不動。
無造作にパスポートと出国カードを返され、その間会話いっさいありません。
まぁ会話を求められたらそれはそれで困るからいいけどね^^;

そこを通過して階段を下りると、私たちの旅行かばんが無造作に置かれていました。
それを持って「Nothing To Declare」の方のゲートを通過。あっという間に空港ロビーのような場所に出ました。

事前に聞いていた通り、「Thai Military Bank」でまず1万円をバーツに両替。
そのまままっすぐ行くと、待合わせの場所へ到着です。


「確かこの辺のベンチに座っていると書いてあったよね〜」と、印刷してきた紙を見ていると、警備員風の男性がタイ語で話しかけてきました。
どうやら印刷してきた待ち合わせ場所の「地図を見せてみな」というジェスチャーをしています。

「あぶない!やさしい振りをしてだますつもりかも?」と思い、両手を振って断りました。
そうしたら「マイペンライ?」って言ってます。
「マイペンライ!マイペンライ!」
と言って慌ててその場を離れました。


あまりにも言葉がわからないので、だんだん不安になります。
数分間立ち往生している間に、takeさんらしき人が向こうからやってきました。
「たすかった〜」
思い切り手を振っていました。

迎えに来ていただいたのはtakeさんとパットさんでした。
事前にメールで写真交換していたのですぐにわかりました。

それからパットさんの運転で宿泊先のアパートに向かいました。
高速道路らしきところをしばらく走って一般道に下りました。
運転席が右・左側走行で日本と変わらないのに、見えてくる光景は「異国の地」という表現がぴったり。

日本で見る大手電機メーカーなどの看板もちらほら見えますが、なにもかもがとっても新鮮です。
正直、「こんなに都会だったのか」と驚きました。外資系の大手スーパーもあり、高層ビルも立ち並んでいます。私たちの住む茨城某所よりもはるかに都会。


TAXIにはメーターがないものも多く、その場合はタイ語で交渉をしなければならないとのことです。外国人には当然ふっかけてくるそうです。屋根に「TAXI-METER(メーター付)」と書いてあるものでも、実際にメーターを動かさずに走る車もいるらしいです。話を聞いていたら、すっかりTAXIに乗るのは怖くなりました。

「車」といえば、見慣れた日本車がとても多く走っています。乗用車はトヨタや日産、トラックならいすゞ、日野など。でもなぜだか軽自動車はいなかったな〜。



40分くらい走ってリエイ・ルンピニ・レジデンスに到着。2Fのカウンターでチェックインをして部屋へ向かいます。
ここは中期滞在型のアパートという感じ。日本で言うなら、ウィークリーマンションのようなものでしょうか。


ロビーからの入り口はカードキーで、守衛さんが24時間体制で見張っていてくれます。セキュリティーは万全です。
エレベーターで8階へ、部屋へ入ってみると…。

「うわ〜。広すぎる!」

3LDKでシャワーが二つ、トイレも二つ、ダブルベット二つ。


部屋をゆっくり見るのは後にして、なにはともあれ料金の清算をお願いして先に払ってしまうことにしました。
円安が進んでいたので$1=120円の計算です。
数えてもらって間違いがなかったので、パットさんがニッコリOK!サインを出していました。

これで一安心、肩の荷が下りた感じです。
貧乏人が大金を持ち歩くのは、とっても大変。まして海外へ持って行くなんて^^;

それからプリペイドの携帯電話を借り、夕方の食事の出前を注文してもらいました。

「明日は8時40分に迎えにきますので」と言ってtakeさん、パットさんは帰っていきました。

なんだか気が抜けてぐったり…。

2人とも頭痛がひどく、注文した出前のごはんも、ほとんど喉を通りません。

TVをつけるとNHKが…どうやら日本のニュースは見れるみたいです。


さ〜明日は菜々の手術の日です。あまり深く考えると怖くなってしまうので、とにかく考えないようにしています。
手術前日の夜0時以降飲み食いは禁止。そう思うとなんだかおなかがすいてきて23時30分頃に、夕方のお弁当の残りをムシャムシャ食べてしまいました。

今日という一日は内容がとっても濃くて時間の経過がとてもゆっくりに感じました。

2005年11月28日
菜々手術日


目覚ましで7時に起床です。菜々は今日が手術なのでご飯も水もだめです。

夕美の手術は明日なので今日一日は食べて良いのですが、緊張からかなんにものどを通らず。
結局、朝ご飯も食べられませんでした。

8:40過ぎに迎えに来るとのことだったので準備して待っていたのですが、迎えに来たのはなんと9:20過ぎ。
これが「タイ式時間」のようです。


チェックアウトの手間もなく、そのまま車でBNH病院へ向かいました。



あらかじめ地図で見て近い場所にあることは知っていたけれど、本当に近くてあっという間に到着。



「これって病院なの?」と思ってしまうような正面玄関。

まるでホテルのようで、入り口に車を停めるとベルボーイのような人たちが迎えてくれます。これで赤いじゅうたんでも敷いてあれば、ちょっと金持ち気分?



入り口を入ると、中は近代的な造りで2階までの吹き抜けがあり、中央に大きなエスカレーターが伸びています。日本の総合病院などに比べるとちょっと狭い感じもします。

ところでPAIがあるBNH病院はとってもハイソな病院らしいのです。
最近では外国人の為の高級病院になってます。
歴史は古くて王立のバンコク病院の系列になるそうです。
そこの最上階のワンフロアの半分がPAIになります。
日本の感覚だと、技術のある先生ならば自分の病院を建てているはずなんですが、タイでは普段使わない手術室を空けておくぐらいなら必要な時に借りてしまおうという効率的な考え方。

腕の良い先生なら、大きな病院がなくても患者さんはやってきます。
入院設備とか術後のケアについても、よそに依頼する方が合理的というわけです。
ま〜大病院の経営となると大変そうですし…。よくわかんないけど。


7階でエレベーターを降りるとそこはもうPAIです。
ん〜見た感じ日本の美容外科と同じ雰囲気。
カウンターで日本から持ってきた書類を揃えて提出。
なぜだかパスポートと帰りのチケットを確認していました。(後にその理由が判明)
数枚の書類にサインをして、別室でTVを観ながら先生を待ちます。TVで討論番組らしいものをやっていましたが、なにを言っているのかさっぱりわかりません。takeさんが言うには日本の話題が中心になっているとのことでした。

15分ぐらい待っていると看護婦さんが呼びに来て奥の部屋に通されました。
緊張しながら部屋に入ると、笑顔がとってもやさしくて気さくそうな先生。この方がDr.PREECHAです。


東京から帰ってきたばかりだそうで、SAMSUNGのノートパソコンを2人の目の前に出して、学会で発表してきたというPOWERPOINTの資料を次々に表示して見せてくれます。



最初のうちは、イラストのようなもので手術内容をわかりやすく説明。なるほど〜。
それからだんだん雲行きがあやしくなり、手術前後の比較写真かと思ったら、手術過程の写真がずらり。思わず息を呑み目を閉じてしまいました。できるなら手術直前には見たくなかった…。自分のあそこがこれから目の前の写真の通りに切り刻まれるわけですから…。見ているだけで痛くなり、なんだか背筋が寒くなってきます。
固まってる二人をまったく気にした様子もなく、とっても楽しそうにDr.は話しを続けます。
一通り説明が終わり、挨拶をして部屋を出ました。
あれ?そういえば…これから手術する場所を確認しなかった?

takeさんに聞くとあらかじめ確認しなくても、標準で「棒・玉」両方の皮を利用するのでほとんど足りるとのことです。
ま〜見せたくないので良かった。

話も終わり、1階に戻って菜々の入院手続きをして病室へ向かいます。
部屋はこぢんまりとした個室ですが、室内にトイレとシャワーがついています。TVは天井からぶら下がっており、寝たままでも見やすくなっていて、部屋の電気はリモコンでON・OFF出来るようになっています。
その辺のビジネスホテルよりはいい部屋かもしれません。

明日手術予定の夕美は、宿泊費がもったいないので今日は付き添いと言う事にしてもらい、ソファで明日まで過ごすことになりました。

部屋に入って1時間もしないうちに、看護婦さんがきて手術の準備です。着替え、剃毛、浣腸。それからシャワーで体を洗って安定剤を飲んでベッドで待機。

気が付くと菜々はいびきをかきながら寝てしまっていました。
14時に迎えが来てストレッチャーに移され手術室までガラガラと運ばれていきました。

関係者以外立ち入り禁止のところまで見送ったところで、
「手術が終る頃にまた来ます」
と言ってtakeさんは帰っていきました。


〜〜〜以下、菜々の記憶〜〜〜

手術室まで運ばれる最中、天井を見ていたら気分が悪くなってきたのでしばらく目を閉じていました。
ストレッチャーが止まりました。目を開けてみると廊下のような細長い部屋の右の壁際で止まっています。
左手を見ると、書き物をしている人が見えます。
ぼ〜っとしながら待っていると、手術室へガラガラと運ばれていきました。
急にあせりと緊張で、ドキドキしてきました。
「ついに始まるんだ…目が覚めた時には今とは違う体に変わっているんだよね」
そんな事を考えながら手術台に移されました。

手術台の幅はとても狭くて、肩幅ぐらいしかありません。
手を伸ばすと下に落ちてしまうので胸の上で手を組んでいました。


看護婦さんが右腕に血圧計をつけて、手首に白いひもを結んでいます。なんだか怖くなってきます。
気が付くと腕を乗せる台がおいてありました。左手に点滴の針を、また手首に白いひもを結んで準備終わりです。

看護婦さんが頭上で話をしています。

部屋を見渡すと壁はタイル貼り、天井と床は水色っぽくて、結構な広さの部屋です。
時計がありました。時間は15時45分。

そういえば脚をのせる台があるはずだけど…と足元を見るとちゃんとおいてありました。
ここに足を乗せるわけですよね…。



ん〜やはり手術中の自分の姿は想像したくありませんね〜。


そこへDr.が入ってきて
「Hello.Are you Alright?」

ニコニコと笑顔で言いながら、右の部屋に消えていきました。あの笑顔を見るとなんだか安心出来るから不思議。


看護婦さんが左手の点滴のチューブの途中から、注射器で何かを注入しています。「何かの薬かな?」と考えていたら、氷のような液体が勢いよく左手から入ってきます。左手のわきを通って左足のつま先に向かい、今度は右足に、そして心臓に向かってくるのがわかります。

「苦しいー!体が凍るー!」

まるで映画マトリックスでスミスがネオの体に手を突き刺して、体が金属のようになっていくシーンのようです。心臓に入って極限に苦しくなり「うううっ!」と唸った瞬間、電気が切れるかのごとく気を失ってしまいました。



4、5秒後、古いTVがぼーっと点くように意識が戻ってきました。

「あれ?どうなったのかな?……もしかして終わり?」

目を開けてみると最初にいた、通路のような部屋に戻っていました。

「あ〜、終わったんだ…」
安心して再び眠りにつきました。

次に気が付いたときには、病室のベッドに8人がかりで移動している最中でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

部屋には豪勢な夕食が運ばれてきていました。

夕美:「ご飯食べる?」
菜々:「ん〜…無理みたい…」
夕美:「ウィダーインゼリー飲む?」
菜々:「飲む飲む!」

何にも口に入れてなかったので、とってもおいしそうに飲んでいました。

しかし夕美はあいかわらずなにも食べられません。なんで手術してない私より元気なの?とか思ってみたり…。

手術の当日は痛み止めにモルヒネの注射を4時間ごとに打ってくれます。
でもその晩菜々は腰の痛みがひどくてうなされていました。夕美いわく「玉」を取ったからじゃない?とのこと…。

夕美はあいかわらず頭痛が酷くてうなされていました。極度の緊張と睡眠不足によるものです。

最悪な夜を過ごす2人でした。

2005年11月29日
夕美手術日/最悪の事態


一夜明けて今日は夕美の手術の日です。

夕美は昨夜、強烈な頭痛でほとんど眠れず、食事もバンコク到着した日の夕方に少し食べて以来、水以外なにも口にできないまま手術日をむかえました。

菜々は、というと昨夜からの腰痛も治まったようで、朝から普通にもりもり食事をしています。なんだか出産が終った女性のようにすっきりした顔。

夕美の手術は14時頃からです。それまでの待ち時間が長く、緊張感も募る一方なので「これはとにかく寝るしかない」と思いながらソファの上でうとうと…。眠って忘れたいのに、看護婦さんが部屋に入ってくる度に、
「今日はあなたの番でしょ?」
と念を押していきます。

もう、わかったから。そーっとしておいてくれ〜!

昼前に菜々の体を洗うヘルパーさんが来たと同時に、夕美を呼びに来ました。英語で「私について来て」と言われ、1Fの事務所へ。全く言葉がわからないので、ただジーっと座って待つのみ。やっと入院の許可をもらい部屋が決まり、再び病室へ。
身長・体重・体温・血圧のチェック。身長をHow long〜?と聞かれて、しばらくなんのことかわからず数分間看護婦さんとジェスチャー状態^^;


その後すぐに剃毛・浣腸。剃毛なんて人生ではじめての経験だ〜。気持ち悪かった。まぁこれで最後だし。いいかな。
浣腸は「いちぢく」ではなくて、点滴バッグから伸びたチューブの先をお尻の穴へ。ものすごい勢いで腸の中へぬるい液体が入っていく。もう限界だ〜というところでストップ。すぐにトイレへ。食べてないので、ほとんど出ない。手術のために前後反対に手術服を着て、トイレから出ます。

〜〜〜

そのころ菜々は、部屋で昼ご飯を一人ムシャムシャ食べていました。食べ終わる頃、看護婦さんがやってきてなにやら言っています。でもまったく言葉がわからない。

お互いに困っていると、看護婦さんが私のタイ語の本を見つけました。しばらくページをめくって、あるところを指差してくれました。
「ツイン、に行く」
どうやら広い部屋に移りましょうと言う事でした。

さー、お引越しです。といっても私はベッドごと連れて行ってもらうだけ

着いた部屋はとっても広く、2部屋もあります。TVも2台。ここならベッドも2台、余裕で置けそうです。

しかし…
この部屋に移ったことが、後に悲劇を巻き起こすことになるとは、誰が想像したでしょうか?

〜〜〜

夕美がトイレから出ると、部屋に菜々が移動してきていました。
看護婦さんから渡された安定剤をごくん。そのままベッドに横になりました。睡眠不足ですぐに眠れるかと思いきや、ち〜っとも眠くならない。

「そうだ、携帯電話を充電しておかないと〜」
という、どうでもいい話をtakeさんと菜々に話しかけた後、夕美の記憶は完全に途切れた。
その後手術終了まで一切の記憶なし^^

14時に手術のおむかえがきました。

takeさんが夕美に声をかけるのだけども、全く反応がない。完璧に熟睡している様子。5人がかりでストレッチャーに移して手術室へ向かっていく。

〜〜夕美の記憶〜〜

自分のうなり声と、「ピッピッ」という電子音で目が覚めた。よくわからないけど、「激痛」が途切れることなくおそってくる感じ。

右上腕部には血圧計が「しゅーっ」という音とともに自動的に動いている。
右手の指先にはクリップで挟まれたような感覚。これはたぶん酸素計?
首を動かして右頭上を見ると、液晶画面のようなところに数値が並んでいる。
血圧計が動くと、「ピッ」と音がして値が変わる。いつもは120/80前後で至って普通の血圧なのだけど、数値は上下共に100以下の値だったので、「術後ってこんなもんなのかな?」と思いながら、やっと手術が終わったことを悟った。

左手の方に看護婦さんの姿が見えた途端、また意識がなくなる。

〜〜〜〜

20時頃、夕美が手術から帰ってきました。とっても痛そうにしています。
「大丈夫?痛い?」
と聞くと、う〜んう〜んと唸りながら首を縦に動かしています。

takeさんが
「大丈夫ですかー?痛いですかー?モルヒネはあと2時間経たないと注射できないんですよー、我慢してくださいねー!」
と言っているのですが、どうやら痛みでわかっていない様子…。


〜〜夕美の記憶〜〜

気が付いたら病室でうなっていた。頭や顔に汗をかいていてべったりと気持ちが悪い。
日本から持ってきていた「ゼリー飲料」を少し飲んだ。手術直後は、喉に挿入されていた呼吸器のチューブのせいで喉がいがいがしていて違和感がある。

〜〜〜〜

夕美の様子が落ち着いたので、takeさんたちは21時半頃帰って行った。

23時前に看護婦さんが、モルヒネ注射に来た。左腕につめたい感触がした後、1分もしないうちに強烈な吐き気が…。時すでに遅く看護婦さんは部屋にいない。さっとつかんだ近くの容器にさっきのゼリーをすべて吐いた。



すぐに菜々がタイ語の本を見ながらナースコール。
「マイ サバーイ」(気分が悪い)
どうやら通じたらしく、すぐに看護婦さんが来てくれた。

吐いたら気分が良くなって落ち着いてきた。


菜々と話をした。
夕美にとって20年越しの夢だった手術。走馬灯のようにいろんな苦労が思い出されて涙がとまらない。
ふと気づくと、離れたソファの上に私のかばんが置きっぱなしになっている。そういえば、手術前は準備でばたばたしていて、そのままにしていたんだった。「あのままじゃだめだよね…」と、気にしながらそのまま眠ってしまった。

突然ハッと目が覚めると、時計は深夜2時。2時間ほど眠っていたみたい。部屋も電気が消えて薄暗く、TVも消えている。
暗さに目が慣れてきて、見渡すと…さっき話をしたソファの上のかばんが消えている!

菜々も夕美もベッドから全く動けないので、すぐに看護婦さんを呼び、かたことの英語で「かばんを探して」と頼んだ。
広い部屋の中を歩き回って探してくれた看護婦さん。「あった」と見つけてくれたのは、なぜか私たちから見えない隣の部屋。



中身をすぐに確認。中に入れていたポーチがなくなっている。化粧ポーチの中も全て探った形跡があり、誰がどうみても盗難にあったっぽい。

ひとまずtakeさんに電話をした。
すぐに来てもらって状況を説明し、看護婦さんやらヘルパーさん、後に警察官が部屋に慌しく出入り。そんな状況が明け方まで続いていた。

当の夕美は、手術が終わって数時間後で、頭が全く働かず。
「パスポートなくちゃ帰れないなー」とか「お気に入りの指輪もなくなっちゃったんだー」と、半分は絶望感。でも手術が終わった安心感も半分。動けない状態で、ただただ「ぼーっと」宙を眺めるのみ。

「カードはすぐにストップした方がいいですね」
というアドバイスを受け、連絡をしようとするがどこにかけたら良いのか、電話番号がわからない。
ひとまず日本にいる姉に電話をかけた。日本では朝の5時半。
電話越しに「手術は大丈夫だった?」と言う姉に、盗難にあったのでカードをストップしてほしいと伝えた。

姉の話では、私たちが出発した次の日、家にあった「招き猫の貯金箱」が棚から落ちて割れていたので、「もしやなにかあったのでは…」と心配していたとのこと。

そしてまた、いつの間にか眠っていた。(例によって記憶が途切れています^^;)

2005年11月30日


よく寝たようで、時計を見るとほとんど時間が経ってない。タイは時間の進み方が遅いんじゃないかと思うくらい。どちらにしても睡眠はあまりとれていないみたい。

目が覚めてからまた涙が止まらない。手術を終えたことの喜び、感激?それともトラブルにあった悲しみなのか、自分でもさっぱりわからない。何時間もほろほろと泣いた。

夕美はあいかわらずご飯が一切喉を通らない。水は無理して飲んでいる状態。
薬が異常に強いらしく、看護婦さんが持ってきた薬を飲むと、吐いてしまったり、しばらく吐き気が続いてなおさら食べる気をおこさせない。

上向きに寝ていると背中やおしりが痛くなってきて、横を向こうとするのだけど、カテーテルとドレインのチューブがチクチクと痛むので向きを一度変えるだけで汗びっしょり。

今日は昼前にtakeさんのところのパットさんが来て、事前に用意していた「パスポートのコピー」を持っていった。日本大使館への連絡をしてくれたのだそうだ。

周りの方が動いてくれているので、私もだいぶ冷静に「昨日のいきさつ」を考えることができるようになってきた。
よく考えてみれば、病室が決定し、手術前の準備を経て、最後に安定剤を飲むまでの間、流れ作業のようにあっという間。いつの間にか寝ていたような感じで、「貴重品を金庫にしまう」ことに考えが及ばなかったのだ。こちらに来て初日に費用を支払ってしまってから、もう安心しきってしまっていたのだろうと思う。ただ、お金を数箇所に保管していたのが幸いし、なんとか帰国までの2週間、うまくやりくりすれば大丈夫かな〜?という金額は残った。

〜〜〜〜

今日から菜々は点滴が外れたので、「歩いてもいいよ」と、お許しが出ました。
まずベッドから降りるのが一苦労です。
なんとか降りて歩いてみるのですが、股間のパッキンが邪魔をして、まるでコンパスのような歩き方。しかもすぐにへとへとに疲れてしまいます。
「いや〜地球の重力はつよいな〜」なんてことを考えてました。

〜〜〜〜

夕方までTVを観たり、小説を読んだりして過ごしていたら、急遽病院の通訳の方と、数人の方たちがぞろぞろと部屋へ…。目の前に現れた警察官の手には私のポーチが…。
「あっ!」
とおもわず声をあげました。


警察官が言うには、
「後で指紋を取るので、あなたは触らないでください。私が手袋をしながら中身を一つづつ取り出すので確認をしてください」
とのこと。


部屋にはBNH病院の看護婦さん達を含めて8人くらいが見守る中、中身を一つ一つ確認していく。
どうやら、現金・指輪・携帯電話とPHSが無くなっている。カードとパスポートはそのまま残されていた。
盗られた現金はおよそ15万円。これは、出発間際に「なにかあった時のために」と家族が持たせてくれた現金も入っていた。
一つ一つ確認をしていく最中にたまらなくなり、ありがとう、ありがとうと言いながら声をあげてわんわん泣いた。涙腺がゆるんでいるみたい。

お金はまた稼げばいいけど…思い出の指輪がなくなったことがなによりもショックだった。


〜ここから下は食事中の方は読まないほうが良いです〜

菜々、お昼に術後初めて「大」の方をもよおしました。
お尻のあたりはパッキンが半分くらいかかっていて、そのままでは隙間に入ってしまいそう。どうしていいかわからないので看護婦さんに来てもらいました。トイレまで連れて行ってくれたのですが、どうやらそのまま便座に座って「しなさい」とのこと…

え〜??絶対にうん○まみれになるよ!


まぁ考えても仕方ないので、そのまましてみる事に…

にゅるにゅると出てきて、なんとも気持ちが悪いです。


終わってから看護婦さんを呼び、お尻を拭いてもらって1回目は無事に終りました。

術後の治りが悪いといけないから、とにかく体力をつけようと思って、ばくばくご飯を食べていたからなんでしょうか?夜になってから、また「大」をもよおしてきました。

今度はトイレまで自力で歩いていき、終わってから同じように看護婦さんに拭いてもらいました。
ところが今度はあまりきれいに拭いてくれません。仕方ないのでベッドに戻り、恐る恐るティッシュで拭いてみると…、

「うわっ!」



かなりの量の「ブツ」が隙間に入り込んだまま。最悪です。
この一件がトラウマになってしまい、パッキンをはずすまで「大」は我慢する事に決めました。

SRSを受けた先人たちは、どのように処理をしていたのでしょうか?

2005年12月01日
ひまだ〜

「荷物が見つかってほっとした」ことと、「残金が少ないのでなんとしても早く回復して帰らないと!」という気持ちもあり、朝食から果物やジュースなど軽いものを無理やり口に入れる。とはいえ、喉を通るようなものなどフルーツくらいしかない。肉類や魚類は、口に運ぶ時ににおいで「うっ」となってしまい食べられず。

そんな様子を見るに見かねたtakeさんが、「雑炊」を注文してくれました。
タイ米で調理した雑炊。さらさらしていて食感が少し違うものの、においがないので食べやすい。ご飯部分はまた食べられないが、うわばみの部分だけをすくって飲み込んだ。

患部の痛みは日に日にやわらいできており、その代わりに、カテーテルとドレインの気持ち悪さが際立ってくる。

それにしても時間が長くて本当に退屈。持ってきていた小説を読んでも、時間が経ってない。それからTV。病院はケーブルTVが引かれているので、チャンネルがたくさんあり日本語ではないが、映画も楽しめる。
タイの民放TVを観ていると、CMがどれもヤバい。後で聞いた話では、タイのCMは「面白くないといけない」という風潮があるそうな。笑うと傷が痛むので、長時間は観ていることが出来ない。傷が開いたらいやだし。
タイで手術を受ける方は気をつけた方がいいです。たぶん^^

菜々は今日から、「カテーテルのホースをゴムで止める」という練習をはじめました。2時間止めたままにして、1時間はずす。「おしっこがしたい」と思った時もはずすようにします。今日は結局、夜寝るまで「おしっこがしたい感覚」はわからずじまいでした。

2005年12月02日
おしっこの感覚


今日から夕美がカテーテル止める練習をはじめます。

看護婦さん、ヘルパーさんが来るたびに、
「尿が濃くて、量が少なすぎる!水を大量に飲みなさい」
と念を押される。。

尿の入ったバッグをみてみると、確かにおしっこが赤い。

意識をしてみても「おしっこをしたい」という感覚がわからないので少し不安…。

〜〜〜〜

菜々、今日はおしっこの感覚がわかってきたので、したいと思った時にゴムをはずすようにしていました。
ところがゴムを外して袋におしっこを流していると、突然、ズキンと「膀胱に激痛」が走ります。

どうやら、おしっこが最後に止まる瞬間、カテーテルの管が膀胱にあたっているみたいなんです。これはとってもつらいです。



いろいろためしてみてわかったのですが、「おしっこ袋」を体と同じ高さに持ってきて、ゆっくり流すようにすると痛くないことがわかりました。


2005年12月03日
菜々退院


今日はついに、菜々のパッキンが外れる日です。

11時半にPAIの先生がやってきました。Dr.PREECHAではなく若い先生でした。
このゴツゴツしたパッキンを外すなんて、なんだか痛そう。ものすごく緊張しています。

先生も看護婦さんも、そんなことはおかまいなし。容赦なく、かつ手際良くばんそうこうをはがしていきます。

ドレインチューブとカテーテルの管をはさみで「チョッキン」。プシューという空気の抜ける音。
そのあと先生が「One,Two,Three」と言う掛け声とともに、ドレインチューブとカテーテルの管を抜きました。

なんともいえない気持ち悪い感覚が走ってきて思わず声が出てしまいます。痛くはないのですが、痛そうな気がしてとっても怖いんですよね。その後、膣の中に詰め込んであった「詰め物」をするすると抜いていきます。
最後は「スッポン」と抜けて終わりでした。ちょっと笑ってしまいました。
後は消毒して終わり。

30分間、脚を閉じたままじっとしているように指示されます。

それから部屋のユニットバスに移動です。

パッキンを外すまでは、まるでそこにまだ自分の「モノ」が付いているような感触があったのですが、外して歩いてみると、股間に何にもない事を改めて実感しました。


さて今度はシャワー&消毒です…が、その前になんとしてもしたい事がありました。
それは2日間我慢していた「うん○」。今日は安心して出来ます。
便座にしゃがんでいると、ついでにおしっこもチョロチョロと…。意外とあっけなく出ました。
中にはパッキンを外してもおしっこが出なくて、帰国時に導尿したままだった人がいると聞いていたので、ものすごく心配していました。術後にとにかくがぶがぶと水を飲んでいたのが幸いしたのかもしれません。

それからシャワーです。パッキンを外した後でシャワーを浴びるように指示されているのですが、お湯が出たり出なかったりで、髪を洗いたくても無理そうです。
ひとまずさっと体を洗い、それから自分で患部の消毒をして終わりです。

消毒は、黄色いトレイに水を入れて、消毒液を溶かし、赤いスポイトで吸って患部にぶちゅ〜っと。
この黄色いトレイは、夕美が手術した日におえ〜っと吐いちゃったので、あんまり使いたくないんですが…^^;



手鏡で傷口部分を見ながらやるのですが、術後はじめてみる傷口はかなり「痛々しい」です。これからどういう状態になるのか見当がつかないほど腫れています。


一通り終わってベッドに横になった時、改めて開放感を味わいました。ほっ。

一方、パッキンを外すところを隣で見ていた夕美は、「明日はわが身」かと、とてもいやな思いをしていましたとさ^^;

おしっこも問題なく出たので、菜々は今日無事に「退院」と言う事になります。しかし1人だけホテルに泊まるのはもったいないので、入院初日の反対で、「夕美の付き添い」でそのまま泊ります。

今菜々が寝ているベッドは夕方取りにくるそうで、それまでは寝ていてもいいとの事。その後からはソファーに移動です。

しかしなぜか、いつまでたってもベッドを取りに来る気配はありません。
よしっ。こうなったら知らんふりを決め込むだけです。

晩御飯は夕美のご飯を半分づつにしてしのぎました。

2005年12月04日
入院生活よさらば


朝起きたら、看護婦さんに
「16時ごろ、先生がパッキンを外しにくる」
と言われる。


昨日の菜々の時と違って、ずいぶん遅いんだなあと思っていたら…、なんと10時に来た。なんという不意打ち。
恐るべし「タイ式時間」。

そりゃもう、心の準備をする暇もない夕美は、顔をめいいっぱい引きつらせながら、ベッドの上で先生・看護婦さんにされるがまま。まさに「まな板の上の鯉」。


絆創膏をはがす音と、皮膚を引っ張られる感触。カテーテルを外した感覚は全くなし。ドレインチューブを「ず〜るず〜る」と抜いているのがわかった。痛みはない。でもかなり気持ち悪い。思わず「あ゛〜〜〜〜っ」と声が出てしまった。


30分間脚をまっすぐのばしてベッドの上で横たわり、その後トイレに行き、シャワーを浴びるように指示をされる。流れは昨日の菜々のを見ていたのでわかった。
結局50分くらい休んで(動けなくて)、トイレへ。

座ったらいきなり「大」が出て、すぐにおしっこが出た。大も小も自分でしようと思ったのではなく、「座ったとたんに、勝手に出て行った」という感じ。おしっこはまっすぐ飛ばず、スプリンクラーのように出てくる。最初は尿道周辺が腫れているのでそんなもんらしい。

その後シャワーを浴びようとお湯を出したら…、なんと空気しか出てこない。水を浴びるにはちょっと冷たすぎるし…。というわけで、仕方なく患部を軽く洗って再び便座へ。

今度は洗浄をはじめる。スポイトで消毒液を吸って、穴の中に注入して洗浄するというのだけど、どうしても入らない。とにかく入り口付近が痛い。3回ほど挑戦したけどうまくいかないようだったので、ひとまず残りの液で外側の傷を洗って終えた。患部に触っても痛みはほとんどないものの、慣れない作業なので、「シャワー浴びた?」っていうくらい汗びっしょり。


夕方にtakeさんが来てから、今日以降どうするのかを病院と交渉してくれた。

「お金を盗られてしまったことで、ホテル代が払えないのでBNHの病室に少しの間泊めてもらえないか」

という話をしてくれていたのだけど、病院側の出してきた条件を統合して考えると、「病院にいないほうが安く済みそう」ということで、急遽退院してアパートに移ることに。


貧血で目の前は「ネガ」状態。そこにピカピカとお星様☆が飛び交う中で着替えをし、荷物を準備して退院。
地下駐車場までが長いこと…。

そして車でアパートに向かってもらう。

金銭的に厳しくなった為、特別にシングルの部屋に2人で泊まるように変更してもらいチェックイン。とはいっても、シングルに2人入っても十分な広さがあります。

部屋に着いてからtakeさんにお弁当の出前を注文してもらって、1Fのコインランドリーへ連れて行ってもらい、洗濯物を放り込みました。
しばらくすると出前が届き、3人でTVを見ながら食べて、
「じゃー明後日迎えにきますから」
と言ってtakeさんは帰っていきました。


ベッドにしばらく横になっていると、とても楽になりました。病院のベッドよりもはるかに寝心地がいいです。正直、あの病院のベッドにはもう寝たくないかも。

しばらくしてから、1Fへ洗濯物を取りに行きました。

エレベータを降り外へ出ると小さな「三毛猫」が。タイではねこは「メェーオ」といいます。泣き声そのまんまです。餌をもらえると思って寄ってきたのですが、何ももらえないとわかると、知らん振りして行ってしまいました。鳴き声がかわいらしい。

洗濯物を取ってからまた部屋に戻りました。

たったこれだけの事でも、ものすごくくたびれてしまいます。さらにトイレに行ったり、立ち上がるたびに貧血でふらふら。血が足りないのが実感できます。
夕美は久しぶりに鏡でみた自分の顔が、ムンクの叫びの絵のようになっていてびっくりしていました。



「こんなにやつれたのは何年ぶりだろう…」

菜々も貧血でした。立ち上がると患部に血がドッと流れていってとっても痛いのです。それでも我慢してお風呂でシャンプーにチャレンジ。たかだかシャンプーごときで体力全てを使い果たしてしまい、終った後バタン、キューでした。
こんな状態であと9日後に日本に帰れるのでしょうか?不安になってしまいます。

2005年12月05日
出前で悪戦苦闘


夜中に2回ほど目が覚めてトイレに行った。以前の尿意とは少し違うような…?よくわからない。なんとなく冷えておなかがはってくるとトイレに行っている。座るとおしっこが出る。尿意の感覚はいつになったら戻ってくるんだろうと思った。

朝7時に目覚ましで起き、2階の食堂「伸子」へ。食堂の扉をあけて入ると、カウンターには板前さんのような男性が1人。この人は伸子さんではないよね?まさかFTM?と思いながら、ひとまず挨拶。

私たち:「サワディーカ」
板前さん:「おはようございます」

と日本語の挨拶で返ってきたのでびっくり。
出てきた食事は日本食そのもの。

術後に硬い椅子に座るのははじめての2人。夕美は思ったよりも楽に座れる感じ。菜々はとてもつらそうだった。この違いは「腫れの具合」と「位置」によるものだと思う。


食べ終わってから、1Fのコンビニ「Jマート」に行ってみる事に。なにを売っているのか一応チェックしておかないと。



階段を下りてみると…、あれ?閉店してる?日本では考えられない…。でもここはタイだからちょくちょくありそうな気がする。とりあえずまた後で来てみることにしよう。


昨日の三毛猫がまたいた。少し離れたところには初めて見るグレーの猫。こちらの猫はとても警戒している。



その後部屋に戻って、洗浄を済ませてからの〜んびり。

菜々はパズルをやっていて、夕美は小説を読んでいる。
菜々が夕美に何度か話し掛けるのだが夕美は返事をしない。「今日はやけにつめたいなー。あれ?ひょっとして寝てるのかな?」と思い、もう話し掛けるのをあきらめた。

実は夕美が読んでいた本は「椿山課長の七日間」。
事前に菜々から聞いていたあらすじはこうだった。
『たぶんこの本は、「セクハラばかりしている課長が、女に生まれ変わって自分がセクハラを受ける立場になり、過去の自分のしたことを反省する」っていう内容じゃないかと思ってるんだ〜』
実際に読んでみた夕美は、「どこにセクハラ親父が出てくるの?」と思いながら読み始め、何ページか読んだらすっかりハマリモード。読み進むうちに、涙腺が緩んでいるせいか涙ぽろぽろ。そのせいで菜々が話し掛けても答えられずにいたのでした。読み終わったら、あまりの満足感で他に持ってきた本を読めなくなってしまいました。なんだかがっかりしてしまいそうで…。


病院では結局一度もシャワーを浴びることの出来なかった夕美は、体が気持ち悪かったので昼にシャワーを浴びました。久しぶりに髪の毛を洗ったらすっきり。熱いお湯のシャワーを浴びると、体中の停滞していた液体が回り始めたように体が軽くなる。ふと、パッキンを外した後にシャワーを浴びていればもっと楽だったのかもしれないと思いました。


お昼ご飯はまた出前を頼む事にしました。



「OISHI Delivery」

ここは日本のお弁当の定番メニューと同じものがあるデリバリーサービスなのですが、初めて食べた時は飛行機の機内食の件もあって、全く期待していませんでした。ところがこれ、なかなかよく出来ていておいしいんですよ。前回はtakeさんがタイ語で注文をしてくれたのですが、今回はいません。菜々がどきどきしながら電話をかけてみます。

…プルルルル、ガチャ。
「☆@!$%’()#;:?」
タイ語でなにやら言ってます。

とりあえず「ハロー…」
そこからは本当に悪戦苦闘でした。なにせ電話をかけた菜々はほとんど英語が出来ません。それでもがんばって注文。電話を切りました。

「だいじょうぶかな〜?ちゃんときてくれるかな…?もしかして同じ物を3つも4つも持ってきたらどうしよう!」
とっても不安でした。
40分後ちゃんと注文通りのお弁当が届きました。ちょっと自慢げの菜々。

しばらくベッドでゴロゴロして、もう一度「Jマート」に行ってみる事にしました。今度はちゃんと開店中。店内はかなり狭くて、コンビニというよりは、「売店」と言う感じです。

CGアニメのキャラが書いてあるノート(タイで流行っているのかな?)
ネスカフェの缶コーヒー
コーラ

などを購入。
さすが「コンビニ」だけあって、日本と同じで何もしゃべらなくても、レジの機械に金額が表示されるので問題なく買い物が出来ました。

まだアパートの1Fが限界ですが、少しずつ行動範囲が広がってきて、新たな発見があり、なんだかわくわくしてきます。帰国前にはあちこち行けるほどに元気になっているのかな〜?

さて暗くなってきたのでまた出前を頼む事に。今度は夕美が電話をします。今度も悪戦苦闘かと思いきや、なんだか余裕で話をしてるではないですか。さすがに10年前とはいえ、英会話をかじっていただけのことはあります。ものすごく夕美のことを尊敬する菜々でした。

2005年12月06日
退院後、最初のチェック


7時に目覚ましで起きました。朝から少し傷口が痛みます。
今日は「抜糸」と「ダイレーション」を教わりに病院へ行く日です。

着替えてから、朝ごはんを食べに2Fの食堂へ。
今日は、昨日の板前さんみたいな人ではなくおじさんとおばさんでした。挨拶はやっぱり日本語。和食メニューはさといも・にんじんの煮物など、洋食メニューは目玉焼き、他です。本当に本物の和食なので驚きです。機内食とはえらい違い。やっぱり、あの機内食は忘れられない^^;

その後部屋に戻って、洗浄をして、よそ行きの格好に着替えを済ませ、しばらくすると迎えの車がきました。そしてまた病院へ。


PAIに着いてから、別売りのダイレーターを1セット買いました。これは2,500バーツと、結構な値段なのですがアクリル製で3本セット、ケースつきです。



これを買わなくても標準では「ろうそくで作ったダイレーター」 が2本着いています。…が、



やはりこれから何年も使う事を考えれば、ろうそくではちょっと…です。この時点では、帰国までにどの程度お金がかかるか不明だったので、帰国間際に残金に余裕があれば、もう1セット買うことにしました。

その後、菜々がすぐに呼ばれて診察室へ入っていきました。

菜々を待っている間に、2人分の「SRS証明書」と、「帰りの航空会社宛の手紙」を渡されました。この「帰りの航空会社宛の手紙」というのは、「この人は手術を受けたので、フライト中になにかあったらアシストしてあげてください」みたいな内容になっている。これがあったので、帰りのチケットをチェックしていたんですね。「SRS証明書」は、その名の通り。


その場で取り出して封筒の中身を確認したら…、名前が違うぞ〜。どうやら菜々と夕美がごちゃまぜになっているみたいです。作り直してもらうようにtakeさんに言ってもらったら、Dr.PREECHAのサインが必要なので今日は出来ないとのこと。次回金曜日のチェックの時までに作っておいてもらうことになりました。

その後、夕美が呼ばれて診察室に入りました。台の上に座り、脚を広げるとPAIのチームの先生(男性)が来て診察です。

「中も外も状態は良い」とのこと。「消毒」と「抜糸」を半分だけしてもらいました。今日は黒い糸を抜糸したそうですが、残りは次回の時にするとのこと。白い糸は溶けるので、そのままほっといて良いそうです。


その後、「ろうそく製」のダイレーターにコンドームをかぶせ、まわりに潤滑ゼリーを塗っているところを見せられ「ダイレーション」のやり方の説明を受けます。
内心は、「げっ!あんなの入れるの?」と思っていた私。

指でゼリーを入口付近に塗られて、ダイレーターがぐーっと思いっきり入ってきました。思いっきり血がどぶどぶ出てきて、
痛〜い…!めちゃめちゃ痛い!気持ちわる〜い!
一番奥まで入ったところで、「この状態で止めて15分間」と言われます。

この間わずかたった1分程度の事だったと思うのですが、気が付くと大汗をかいていました。

終わってから診察室を出て、待望の「ドーナッツクッション」をもらいました。これ、本来なら退院の時にもらえるはずだったもの。私たちの退院が日曜日だったので、PAIはお休み。だから2日間は、クッションなしで我慢していたのでした。早速使ってみるとこれがとても楽〜。やっぱり退院するときに欲しかった…。


診察後車に乗って、両替の為に今度はバンコク銀行へ行ってもらいました。

今までに通ったことのない、ゴミゴミとした通りを抜けていきます。渋滞がはげしく、車もバイクも人も自由気ままに道路を横切っていてめちゃくちゃ。日本では見られないほどの混雑ぶりでした。
道の両側には屋台が立ち並び、手作り風のウインナーがどこの店にも置いてありました。なんだかとても活気があって、バンコクの別な一面を見たような気がしました。渋滞をやっとの思いで抜けて、やっとバンコク銀行に着きました。

かなり大きな建物でバンコク銀行の本店みたいです。両替コーナーは2階。ペンギン(コンパス)のように歩く2人を、周りはどのように見ていたのでしょうか?フロアーを散策していると大きなレート表がありました。円=バーツのレートはあまり良くない時期だったみたいです。

両替も無事に終わり、アパートまで帰る途中、お昼ご飯を食べてなかったので「LOTUS」という大型スーパーに寄ってもらいました。



なんでも「日本のラーメンやそばを食べさせるお店」があるとのこと。

行ってみると、あったのは「8番ラーメン」というお店。日本では有名?なお店のようですね。味は日本で食べるラーメンそのものでした。ここには現地の人たちも結構来ているようで、とりわけ若いお客さんが多かったです。

日本とは違い「水」はどこに行っても有料で、コップ一杯の氷も別料金がかかります。
ラーメンは一杯50バーツくらい、1バーツは3円位なので、換算すると日本円では150円。とても安いように感じますが、「タイでの」感覚として考える時には、バーツの値段に0を一つ付けて考えるとわかりやすいようです。たとえば、50バーツのラーメンなら、1杯500円のラーメンと考えることが出来ます。お水は1本10バーツ、だから100円と考えればいいわけです。タイの紙幣で1,000バーツがあるのですが、感覚がわからない時は約3,000円と思っていたのですけど、現地の人にしてみれば10,000円のイメージなんですね。
この計算を聞いていたので、とてもわかりやすかったです。知っていれば、買い物の時にぼったくられる事もないかもしれません。

このLOTUSには、他にも「KFC」や「マック」があったので、軽くメニューのチェックをしてみました。「KFC」にカーネルおじさんはいなかったけど、「マック」の前にはドナルドがいました。



タイ式の挨拶「ワイ」のポーズです。でも顔が……これ、怖いって…。



お薦めメニューのポスターには、日本では見慣れない「ダブルフィレオフィッシュ」や「レタス入りフィレオフィッシュ」。もしかして私が知らないだけで、日本でも発売されてるのかな?

一通り見て回って、その後アパートに戻りました。とっても楽しかった〜。


今日は抜糸したこともあり傷が痛みます。傷口を見ると血がにじんでいました。穴の中も「さっき入れられたろうそくがまだ残っている感じ」がしていてとっても痛いです。我慢できそうもなかったので、すぐに痛み止めを飲みました。それからはベットで夕方までゴロゴロ。


今日の晩御飯もまた「OISHI Delivery」です。今日の電話は菜々がかけることに…。しかも「緑茶を一緒に注文する」という、またまた困難なことにチャレンジ。
「ハロー!イングリッシュOK?」と調子よくはじめました。しかし注文の段階になると、だんだん雲行きがあやしくなってきます。会話が通じなくなり、電話の向こうの人が別な人に代わりました。また最初からやり直し。またまた注文の段階になるとおかしな会話になってきます。なんだか電話の向こうで「どこの人か?」って聞いています。「Japanese」と答えると、また選手交代です。

今度の人は
「な・に・が・た・べ・た・い・で・す・か・?」
と片言の日本語で話してきます。


ここで菜々、ついにギブアップです。こちらも選手交代。夕美に泣きついて電話を代わってもらいました。そして何とか注文完了。この間約20分くらい、よくお店の人も我慢して私たちに付き合ってくれました。おそらくお店で話題になっているかもしれませんね。

「ね〜ね〜、最近変な外人が注文してくるよね」
「そ〜そ〜、変な英語しゃべる人でしょう!」
「本当に困るよね〜、今日もまた電話かけてくるかな〜?」
「絶対またかけてくると思うよ!」
「え〜!いやだ〜!私、電話にでたくな〜い!」

なんてこと言われているかもしれません。


でも今のところは遠くまで出かける事が出来ないので、ここに頼るしかないんです。クスン。
約40分後無事に出前は届きました。すごいなぁ、お店の人たち。


昼間の痛みは夜にはかなり和らいではきたものの、今日の夜から洗浄に加えて、ダイレーションという新たな作業が加わったので、気分は憂鬱になる一方です。病院での痛みが思い出されていやだったのですが、やらなきゃしょうがないので、おそるおそる実行。

「あれ?」

痛いのかと思ったら、他人がやるのと違い、自分で力を加減できるので痛みはほとんどありません。
指示通りに15分程度入れたままにして、ゆっくり引き出してから、今度は洗浄をします。
慣れていない作業なので1時間近くかかってしまいました。

ベッドに戻ってほっとすると、抜糸した部分がまた痛み出してきました。
すぐに痛み止めを飲み、ついでに病院からもらった睡眠薬を飲んでそのまま眠りにつきました。

2005年12月07日
出会い


睡眠薬のおかげで、朝までぐっすり。体調もばっちり。睡眠薬がなぜ出ていたのか不明だったけど、ようやく判明。ぐっすり眠ったあとは、あきらかに体が回復している。

早速食堂に行くと、今日は初日に見た板前さんと、おじさんとおばさんの3人。もしかして明日はまた増えて4人?どうやら仕事の件でお話をしている様子。

ご飯を食べ、あまりにも気分が良いので、どこかへ散歩してみようという気分だったのですが、ダイレーションと洗浄を済ませたら、あっという間に昼になってしまいました。時間がかかりすぎです。


恒例の昼ごはんの出前。同じお店はそろそろ飽きてきたので、今回はピザ屋さんの出前に挑戦。



電話で20分くらいの格闘の末、やっと通じたっぽい。あきらめなかったこちらも偉いが、お店の人はもっと偉い。よくぞ付き合ってくれました。
でもやっぱり、実際に届くまで注文通りの品が来るのか不安。同じものが5個くらい来ていきなり「1000バーツです」とか言われても困るし。
40分後にようやくピザセットが届けられた。
あけてみるとなんとピザの大きさにびっくり。とってもかわいいサイズ。直径が12cmくらいで、子供のおやつ?という感じのもの。
あとバーベキュー・ソースに漬け込まれたチキン、とパスタ。ピザの味は良かったけど、チキンは甘辛くてなんともいえない味。このチキンは二度と食べないでしょうってかんじでした。この次頼むときはセットじゃなくて、ピザの大きいサイズを頼んだ方がいいかも…。結局、中途半端におなかが満たされた昼ごはんでした。


食べ終わったらいつの間にかベッドでぐっすり。

起きたらなんと夕方5時。窓の外はもう薄暗くなりそうな気配。「このままじゃ今日一日がもったいない」と、いつもより遠いコンビニを目指して散歩にでかけました。まだ傷が痛むためゆっくりしか歩けません。

駐車場に停まっている車を眺めていると、日本ではあまり見かけないような日本車がたくさんあります。特に気になったのが「ハイエースコミューター」。長さと高さが見たことないくらいにでかい。旅館とか自動車学校の送迎バスに使っているサイズかも。

ルンピニ・レジデンスのあるこの場所、「ルンピニ・プレイス」は、出口に向かって左側にも同じような建物が4棟並んでいます。



こちら側は言わば「分譲マンション」で、購入した人が、部屋を賃貸アパートとして貸し出しているようです。
タイでは「居住権」などというものがない為、大家さんの方が強い立場にあります。ある日突然「出て行ってくれ〜」なんて事もあるそうです。逆に日本では「借主」の方が強いなんて言われますよね。

1F部分は「貸し店舗」になっています。
クリーニング屋さん
美容室
旅行会社らしきもの
宅配便
どこかの会社のオフィス

テナント募集のところもちらほら…。そして…



エステ?ここは日本語でいろいろ書いてあります。…が、なんだかちょっと変!


このエステが見えると、ようやく目的地のミニマートに到着です。



こちらはごく普通のコンビニの造り。

爪やすり
ナプキン
コーラ
スティックタイプのコーヒー
オレンジジュース

などを買いました。


お店を出て、「ちょっと表通りを見てみよう」と、ゲートの横を歩いていると駐車場に入ってきたTAXIがクラクションを鳴らしています。「なんだろう?」と見ていたら、中からtakeさんが出てきました。今日、新たに2人の方がタイに到着したとのことで、私たちが2台借りていた携帯電話のうち、1つを取りに来たとの事です。
しばらくすると、パットさんがお2人を空港から連れてきました。どうやら同じ階の部屋に泊るみたい。

せっかくなので、夕食をご一緒させていただくことになりました。Nさんは神奈川県の方、Mさんは愛知県の方です。昨日行った大型スーパー「LOTUS」のラーメン屋さんに行く事に。takeさんの車に全員は乗れないので、パットさんと私たちはTAXIで行くことになりました。
お店に着いてから楽しくおしゃべりをしながらご飯をたべました。さすがに日本人5人いると、にぎやかで盛り上がっています。Mさんとtakeさんは以前からSkypeでお話していたみたいで、なかなか息が合っていて、漫才コンビみたい。久しぶりによく笑いました。

それからまた二手に分かれてアパートに戻りました。TAXIで帰った私たちのほうがかなり早く着いたみたいで、みんなが到着するまで1Fの売店の前のベンチで座って待つことにしました。
昨日から菜々の体にじんましんのような症状が出ていたので、パットさんに「かゆい」というジェスチャーをしながら、「カン(かゆい)」と言うと、コンビニで「セアム バッ」という軟膏を買ってきてくれました。虫さされに効くもの?なのかな?メンソレータムみたいな匂いがしました。

takeさんが着いた時にその事を話したら、どうやら「薬負け」の症状に似ているとのこと。明日まで一切薬を飲まずに病院で診てもらおうということになりました。そういえば昨日、夕美用に出された強力な痛み止めを、菜々も飲んでしまったので、それが原因かもしれません。ちゃんと個人に合わせた薬を考えて処方してあるという事がわかりとっても関心しました。

takeさんが帰ってからも、Mさんのお部屋で4人でおしゃべり。積もる話がたくさん。気が付くと夜中の0時。この辺でお開きにしよう、と言う事でそれぞれの部屋に帰っていきました。

自分の部屋に戻ったときにはもうくたくた。ドーナッツクッションに長く座っていると、傷口付近が引っ張られて痛くなるみたいで、長時間座ることはまだ無理みたいです。ちょっと無理しすぎたかなぁと思いつつも、無理が利くようになってきたことの方がうれしかったりして。


今日はくたびれたのでダイレーションはお休み。

ベッドに横になってボーッとTVを見ていると、日本とタイの話題がとてもたくさん出てくることに気づきました。今までは考えたこともなかったのに…。

2005年12月08日
食って、寝て、おしゃべりしての一日


朝、眠い…。昨日は、術後はじめてたくさん歩いたせいか、今日は体がきつい。

昨日来たMさんは、今日が手術日で朝ごはんは食べられない。Nさんと3人で食堂へ。今日は珍しいパイナップルのジャムを出してくれたが、食べてみると甘すぎずあっさり風味。いがいがする感じもなく美味だった。


その後、手術予定のMさんと菜々が病院へ。
出掛けに4人で写真を撮った。私たちは早ければ来週月曜には帰国になるため、もしかしたら4人で集えるのは今日が最後かもしれない。


〜〜菜々の記録〜〜

病院に着いてまず7階のPAIに行き、Mさんの手術の受け付け、その後Dr.PREECHAのカウンセリングです。やはりMさんも私たちと同じように、手術中の刺身のような写真を見せられたそうです。
菜々の薬疹については、塗り薬をもらっておしまいでした。
それから1Fで入院の受け付け、それから健康診断です。

実はMさん、肝心な推薦状を日本に忘れてきていました。本来なら手術は受けられないのですが、そこはさすがtakeさんです。病院との交渉で特別に「後から郵送でOK」と言う事に。よほど信用されているのだと思いました。
Dr.にも看護婦さんたちにも「takeさん」と呼ばれており、信頼関係があることがうかがえます。

健康診断が終わって病室に移動し、後は剃毛、浣腸です。Mさん、かなり緊張しているみたい。
ここから先は、私がいてもしょうがないのでパットさんにアパートに送ってもらいました。

昼までだらーっと過ごし、病院から帰ってきた菜々とNさんの3人で例の「OISHI Delivery」でお昼ごはんを注文しました。

その後夕美と菜々は夕方までぐっすり眠ってしまったみたい。

夕美、おしっこに行くと出血がひどい。痛みはないんだけど、便器が赤く染まる。ただ後で気がついたことだけど、出血と消毒液の色は見分けがつきにくいので、もしかしたら、消毒液の色だったのかも?

夜になり3人で下の食堂へ。八宝菜他、とても美味しくいただく。家にいる時に自分で作る八宝菜よりも格段においしい。

それからまた夜中まで部屋でおしゃべりして過ごした。とても楽しかった。

消毒をして今日は早く休もう。さっそく睡眠薬を飲んだ。
明日は昼からまた2回目のチェックと抜糸の予定。

今日は警察が指紋を取るために預かっていった私の荷物のうち、パスポートだけが手元に戻ってきた。
「荷物を持って帰ったら捜査は打ち切り」と言われたそうで、受け取りは帰国間際になりそう。たぶんまともに捜査はしないだろうとも言われたけど^^;

2005年12月09日
2回目のチェック

やはり睡眠薬を飲んで寝ると、次の日はとても調子が良い。術後はとにかく睡眠をしっかりとることで回復も早くなるのかもしれない。

今日の朝食はオムライスだった。とっても美味しくて、入院中になにも食べられなかったのがうそのようにたいらげた。

食後の運動がてら、遠くのコンビニまで散歩。水を買って部屋に戻ると、Nさんが丁度手術に出かけるところ。見送りに1Fまで一緒に行く。緊張しているのが伝わってきた。私たちもきっとそうだったんだろうと思う。


菜々はおしっこがあいかわらずスプリンクラー状態。あちこちに散るので、傷口にしみて痛い。脚を開いたり、座る角度を調節しても、力を変えてみても、どうしてもうまくいかない。
ダイレーションは4.5インチ。右の後方の縫ったところの傷がひりひりしている。術後はじめてのダイレーションの時に計った深さより少しだけ深くなったのかな?

〜〜〜〜

今日は2回目のチェックの日なので、昼からまた病院へ。
PAIで先日と同じように診察室に呼ばれ、残りの糸の抜糸をする。今日は痛みはない。

鏡で患部を見ながら、説明を受ける。穴の入口の部分が白くただれてしまっている。どおりでダイレーションの時に痛いはずだと思った。「なるべくたくさんのゼリーを付け、ゆっくりと時間をかけて挿入するように」と先生。ただれた部分は消毒液の原液を脱脂綿につけて拭くようにと指示をうけた。

脚を広げた状態で写真を撮られる。「研究用の資料として」ということだけど、あまりいい気持ちはしなかった。

帰国前に、もう一度チェックを受けるかどうかという話が出た。
現在の傷の状態を詳しく聞くと、菜々は腫れのひきかたが早く、問題ないとのことだが、夕美の方は、まだ長時間の飛行機はきついかもしれない。今後は「通常の傷の治療」でなんとかなるけれども、帰国日が決定したら、前日にもう一度診せに来て最終チェックをしていった方が良いだろうとの事だった。
ひとまず来週の水曜日に帰国日を設定して、前日の火曜日に診察の予約を取ってもらった。


診察も終わって、今日手術予定のNさんのお見舞いに病室へ立ち寄った。Nさんは血圧がものすごく上がってしまって、心臓の先生に診てもらったら、心臓の血管が肥大しているらしいとのこと。血圧を下げる薬を飲み、様子を見ようということで待機中。
Nさん:「今までこんなことなかったのにね〜。やっぱり緊張のしてるせいなのかしら」
って意外と冷静な顔。


部屋でいろいろ雑談をしていて、
「術後に飛行機で長時間座って帰る結構大変そう」
「現時点での残金と、残り日数分の差額返金分を足したら、もしかしてビジネスクラスで帰国できるかなぁ?」

と言う話になり、あらかじめJTBに聞いていたシンガポール航空の電話番号に連絡を取ってみるが、こちらではわかりませんとのこと。「バンコク支店に連絡をすれば確認できます」と言われても、タイ語が使えなければ確認しようがないじゃん。
早速takeさんに電話で確認してもらったら、私たちの買ってきたチケットでは、エコノミー→ビジネスへのクラス変更は出来ないとのこと。
こうなったらあきらめて、残りの日数で少しでも回復させ、13日にPAIで最終チェック、そして14日に帰国するということに決定。


パットさんに送ってもらいアパートに戻り、昼ごはんを食べた。

例によって暗くなる前に散歩に行こうと、今日は、窓からいつも見ている、アパートの隣にある大型スーパー「MAKRO」まで挑戦してみることに。



ゆっくりゆっくり休みながら歩く。元気だったら、徒歩5分程度の距離なのかもしれないが、20分くらいかけてやっと到着。着いた時点で既にへとへとになっていて、「ここからアパートに帰れるかな?」と少し心配になる。

駐車場を抜けて店の中へ進むと、一階部分に「すきしゃぶ」と書いたお店。どうやら「すきやき、しゃぶしゃぶ」のお店らしい。店内を見ると、各テーブルにはそれらしきしゃぶしゃぶ用の鍋。でも「しゃぶしゃぶ」と書かれたポスターの写真はどうみても「生ハム」にしか見えない。生ハムをしゃぶしゃぶ?

さらに店内へと進み、エスカレータで2Fへ。広い倉庫が売り場になったような造り。日本で言うなら「コストコホールセール」のようなお店らしい。
デリカウンターのような店が立ち並ぶ食堂をぐる〜っと見て周り、動けなくなる前にそのまま帰路につく。この時点で2人とも歩くペースが亀のように遅くなっている。体中の体液が、足の方に溜まって停滞してしまっているような感じで体が重い。歩いているつもりでも、前に進んでない。股がこすれて痛い。抜糸したところもずきずき。
行きの倍以上の時間をかけて、やっと部屋に戻ったときには意識もうろう状態。そのままベッドにバタンQだった。


夕食の予約を入れておいたのにすっかり忘れていて、起きたら食堂の終わる時間21:00過ぎ。
あわててフロントに電話をかけた。
「食堂はまだ開いてますか?」
すると
「もうクローズした」
とのこと。


夕飯を調達するために、ひとまずミニマートへ行こうと下へ降りる。

2Fの食堂の前を通ったら、まだ電気が点いていた。予約を無駄にしてしまったので、「挨拶だけでもしておこうよ」と思って店に行くと、ぎりぎりまで待っていてくれたのだそうだ。先ほどフロントに確認の電話をかけた時間には、まだ開けていてくれていたらしい。
「とりあえずおにぎりとスープだけでも持っていきなさい」「鍋は明日の朝食の時に返してくれたらいいからね」とおにぎり2人分と、スープを鍋ごと渡してくれた。
久しぶりに食べたうめぼしのおにぎり。やさしい気持ちがこもっていて、それだけで胸がいっぱい。おなかもふくらんだ。しばらくして部屋の電話が鳴り、今度はスパゲッティを持ってきてくれた。「かわいい娘たちのために」な〜んて冗談を言いながら^^;
時間はもう23時近く。朝早い時間に起きて朝食の支度をすると言っていたので申し訳なくなってしまった。


少し休んで日本の姉に電話。
家に置いてきた猫たちは、かなりストレスが溜まっているみたい。以前に仕事で長期間家を留守にしたことがあり、その時にはストレスから「尿道結石」になってしまったので、今度は気をつけないと。猫は結石になりやすい体質なのです。早く会いたいなー。携帯電話の待ちうけ画面に写真を入れてあったので、たまに見て寂しさを紛らわせるつもりだったのだけど、2日目にして盗難に遭ってしまって以来、写真もなにもなくてさみしかった。


夜も遅かったけど、今日手術だったNさんの様子を聞くのにtakeさんに電話をかけてみた。手術は無事に終了したが、血圧がまだ高いので今晩はICUで様子を見るとのことだった。


電話の時にグラスを落として割ってしまった。部屋の中ではスリッパを履かないので、ガラスの破片はとても危険。すぐに2Fへ行き、警備員さんにジェスチャー。無事に「ほうき」と「ちりとり」を貸してもらった。なんとか通じるものだなぁと思いました。でもこういうのって、伝える側よりも理解する側の方がずっと大変なんですよね^^;警備員さんありがとう。

2005年12月10日
一日のんびり


気がついたら朝。

昨日の晩は、ダイレーションも消毒もせずに眠ってしまった。そのせいか起きてから痛みがあるし、昨日の抜糸のせいか、ところどころ腫れている。そうなることがわかっていて、腫れ止めと痛み止めが出るのだろうと思った。実際に退院時や、退院後のチェック時にもらう薬にはほとんど無駄がない。やはり、術例の多さによる「経験」がものを言うのだろう。


いつもよりも早起きをしたので、昨日の晩に借りていたスープ鍋を返しに食堂へ。いつも朝食に来るよりも一時間早かったので、
「あれ?時間を間違えてるよ」
と挨拶をされてしまった^^;



痛みがあり、体調も良くなかったので、あまり食べられないかと思いきや、食べている最中に急に元気になってきて、あっさりと完食。手術なんて生まれてはじめての経験なのだけど、これほどまでに「水分」「栄養分」の重要性を意識し、人間の持つ回復能力を感じたことは初めてだと思う。

食堂には他にお客さんがいなかったので、少しお話をした。
バーツS(スカイトレイン)鉄道に乗って「モーチット駅」まで行くと大きな市場があるとのこと。そこでは食品や洋服などが安く買えるのだとか。週末にはとてもにぎやかで楽しい所なのだそうだ。
帰るまでにもう少し回復できれば一度行ってみたい場所だと思ったけど、この調子では厳しいだろうなぁ…。


そして朝の運動がてら一階へ。
アパートの周辺にはどうやら数匹のねこたちがいるらしい。どのねこも小柄で、顔はうちのねこ達とはずいぶん違う。タイではああいう顔が多いのだろうか?掃除のスタッフが、ねこを指差して「ミケ」と言ってる??あ〜、もしかして「三毛」のこと?誰か日本人が教えたんだろうなぁ。



この「ミケ」は、いつも通り呼んだら近づいてくるけど、すましがお。
「えさ、くれるならもらってやってもいいよ?」
って言ってるように見える。
人懐っこくてかわいらしい。思わず写真をぱちり。



午前中は少し休んでおこうと横になったら、いつの間にか昼までぐっすり。朝食後に外に出るだけの「軽い散歩」のつもりでも、結構体に負担がかかっているのだろうと思う。

さて、昼ごはんをどうしよう?この頃になるとさすがに、「OISHI Delivery」を頼む気がしない。まずいわけではないのだけれど、なんだか情けなくなってくる。他になにかないものか…?
「そういえばミニマートには冷凍食品があったね」
てなわけで、ミニマートまでテクテクと歩く。

店内入口付近の冷凍ケースには、レンジ調理専用の冷凍食品。種類はあるけど、今はできるだけ辛いものは避けたい。文字が読めないけど、ひとまず冷凍のピラフを選び、他にコーラ、ナプキン、コンドーム等を買う。


それから表通りまでちょっと足を伸ばして、外の雰囲気を味わってみた。

車の行き来を見ているととっても元気になる。本当にいろいろな車が走っていて面白い。


タクシー


トゥクトゥク


バイタク

乗合バスオープンタイプ(窓もドアも全開)
大型バス
トラックバス(トラックの荷台が座席になっている)

これらの他に

100ccのカブをちょっとスポーティーにしたバイク
この手はものすごくたくさん走っている。車の数と変わらない。もしくはそれより多いかも。まるで蜂の大群のごとく町じゅうを走り回っている。平気で大通りを逆走もしている。

バイクの前輪にリヤカーをつけた不思議な乗り物

なんだか活気があっていいな〜。


それから部屋に帰り、さっそく先ほどのピラフをレンジでチン。



味は…、ピリッとしていてなかなか美味しい。やはりタイ米はピラフなどのフライパン料理に向いている。

食べている時に、ICUのNさんから無事だと連絡が来て一安心。元気そうな声だったのでよかった〜(^^)


昼ごはんを食べ終わり、夜まで横になって過ごす。
映画チャンネルで「サンダーバード」をやっていた。以前にレンタルして観たことがあったけど、改めて観ると、アラン以外の兄たちは全く出番がなく、ただ足を引っ張っているだけだと思う。


夜になり、術後はじめて菜々と夕美、それぞれの部分を見せ合った。今までは、絵で描きながら説明していたのだけど、実物を見てみると違いがはっきり。本当に同じ手術なのかと思うくらい見た目が違う。よく見ると、やっぱり「腫れ」の状態の差。菜々は腫れがひくのが早いと先生に言われていたが、それに比べると夕美は数倍腫れているように見える。こんなにも差が出るものかと思いながら、改めて「すごい手術だなぁ」と感じた。「切って穴あける」くらいしか考えてなかったことを反省。


今日は土曜日。2Fの食堂は夜お休みなので、ピザを注文した。先日の悪戦苦闘の件があったので、2Fのフロントに行きメニューを見ながら注文してもらう。こんどは大きいサイズのしかもハーフ&ハーフを注文。フロントの女性がタイ語で注文すると、わずか1分。先日の20分はなんだったんだ〜。最初から出前はフロントで注文すればよかった。と、今日になって気付くなんて^^;

このアパートのフロントの女性。片言だけど簡単な日本語が通じます。手には「日本語⇔タイ語」の辞書。
日本語の勉強をするために、このフロントで修行を積んでいる方もいらっしゃるようです。
勉強嫌いな自分が恥ずかしくなりました…。

2005年12月11日
アパート散策


昨日までの2日間は空気が乾燥していて、タンクトップでは涼しすぎるくらいだったが、今朝は起きたら暑かった。

タイに来て1度だけ雨が降ったことがあったが、以前鹿児島に住んでいた時、夏になるとスコールに見舞われたのと同じような降りかた。「少し空が薄暗いな〜」と思ったら、ぽつ、ぽつ、ぽつ…、ザーーーッと降ってくる。しばらくすると、ぴたっとやんでカラッと晴れ間が広がり、蒸発する水分のせいで空気がじめじめ。あの時と同じだ。

昨晩も睡眠薬を飲んで寝たのだけど、夜中にトイレに行きたくなって何度か目が覚めた。それでもたくさん寝たので調子は良い。



朝ごはんを食べに食堂に行くと、今日はすでにお客さんが数人。聞いたら、朝から17人のお客さんの予約が入っていて、とても忙しいとのこと。

さっと食事を済ませて、太陽の光を浴びに1Fへ降りると、目の前にはじめてみる黒ねこがいた。



近づいてきて、目の前にごろんと寝っ転がった。いつもいる三毛猫と似ているので、きっと兄弟なのだろう。大きさも同じくらいだし。

ルンピニ・レジデンスの周辺は動物がたくさん。大きなにわとりや、犬、ねこ、小鳥など。町の雑踏に混じるように動物たちの声が聞こえる。



建物の東側には、大型スーパーマクロ。
西側には草木の茂る敷地内に、にわとりを放し飼いにしている家。



ごみも庭に投げ捨てているのか、こちらはあまり景色が良くない。

今日は初めてアパートの3Fに行ってみた。ここにはサウナ、フィットネス、図書室、PCコーナーがある。
図書室には、日本人が置いていったのかと思われる小説やガイドブックなどが並んでいた。フィットネス部屋では、居住者の血圧や体温など簡単なチェックもしてくれるそうだ。



2Fと3Fの間の外には大きなプールが…。今度来るときはぜひ泳いでみたい。

少し見て回ってから部屋に戻った。


このアパートのTVでは「HBO」というチャンネルで24時間映画を放送している。週末には話題作を放映。ところが英語音声で、字幕がタイ語。みているとこんがらがってくる。NHKは普段日本語だが、ニュースは英語音声に切り替わっていた。テレビが2ヶ国語対応ではないので、切り替えられなかっただけなのかな?よくわからないけど。
その2つのチャンネルが面白くない時は、タイの番組を観る。お笑い系らしき番組、音楽番組そしてドラマが多いみたいだ。
CMは相変わらずやばい。あまりのナンセンスな展開に、観ていて「なんで?」と、TVに向かってツッコミを入れたくなる。
音楽番組はプロモーションビデオを流しているようなものが多かった。出てくる歌手は日本でも受けそうなかわいらしい女性。演歌をタイ語で歌っているようなのもあった。出ているタイ人も、なんだかサブちゃんみたい^^;


今日の昼ごはんは、昨日ミニマートで買ってきた「カップヌードルシーフード」。日清って書いてあるからだいたい味の想像がつく。そして、昨晩の残りのピザ。



カップヌードルは少しコショウが効きすぎのような味で、シーフードは入っていない。味はさっぱりとしている。「シーフード風のカップヌードル風」という説明が正しいのかもしれない。

例によって暗くなる前にミニマートまで散歩。今日は歩くのがきつい。きついけど動かないと、どこまでも弱ってしまいそうになる。

今日はとんがりコーンのようなお菓子を買ってみた。帰って食べてみると…、形は日本のそれと変わらないけど、焦げたような味。決してまずいわけではない。好まれる味覚が日本とは違うんだろうなぁ。


今日はコンビニに行っただけでへとへとになった。あんまり疲れやすいので、いったいいつになったら普通の生活が出来るようになるのだろうかと少し心配になる。
ただ、今日で退院してちょうど一週間。退院時には手すりにつかまらなくては1分も歩けなかったことを考えれば、順調に回復しているとみてよいのかもしれない。

部屋から見える、大通りを渡ったところのセブンイレブンに行きたいが、近くに見えるのに辿り着けない。なんとももどかしい。


今日も食堂は開いてなかったので、晩御飯は仕方なく「OISHI Delivery」に注文。ここのお店は出前専門というわけではなく、アパートを左に出て、少し行ったところに大きな日本食レストランを構えている。しかも「OISHI」ブランドのお茶も製造しているらしく、タイではかなり人気商品らしい。ただしペットボトルに「緑茶」と書かれた物でも、日本のそれと違い「砂糖」が入っているのでとっても甘い。ちょっと日本人にはつらいかも…。味は紅茶と同じ。

もちろんノンシュガーの緑茶も売っているし、ウーロン茶もあるので安心。コンビニでお茶を買うときには、「無糖/ノンシュガー」の表示をチェックした方が良いです。

2005年12月12日
お見舞いに出かける


朝から雲が多くて、風が強く、いかにも雨が降りそうな空。それも9時頃になったら、いつもどおりの快晴になり、太陽が照って暑くなった。暑いと言っても、過ごしやすい程度。11月末〜12月のタイは、一番いい時期なのだそうな。


今日も何事もなく一日が終わるだろうと思っていると、午前中にtakeさんから電話。入院している2人のお見舞いに行きませんか?とのこと。
Mさんがちょっと元気がなくて、takeさんは行ってあげたいが、午前中は動けないらしい。
ほとんどどこにも出られない私たちに、気をつかって呼びかけてくれたのだろうと思う。平凡な日を過ごしていた私たち。当然OKした。


パットさん迎えに来てもらって病院に着くと、意外とMさんは元気そう。もう歩きまわっていて、ご飯もそこそこ食べれていて元気な様子。
今度はNさんの部屋へ、まだあまり動けないみたいだけど、とっても元気そうで安心した。
Nさんの部屋にMさんもやってきて、4人でおしゃべり。そこへtakeさんが到着。なんだか顔が疲れている様子。

そろそろお昼なので、どこかでお昼ご飯を食べましょうという事に…。
BNH病院の前の通りには屋台が立ち並んでいて前を通るたびに気になっていたのですが、そこに連れて行ってくれました。



太い、細い、極細のうどんのような麺から好きなものを選んで調理してもらいます。食べてみると、これがとっても美味しい(*^-^*)香辛料を入れて辛いのだけど、イヤミのないさっぱりとした辛さ。食べているとじわ〜っと汗をかいてきて、食べ終わる頃には、風を浴びてすーっと涼しくなる。「暑い国で辛い物を食べる」って、こういうことだったんだーと納得。菜々はすごい勢いでぱくぱく。あっという間に完食すると、takeさんが「いい食べっぷり」と驚いていた。


食べ終わって病室に戻り、また少しおしゃべり。話は尽きない。
ふと机に置いてあった新聞を見ると、そこにはヤンヒー病院の広告が…。パッと見た感じは病院の広告には見えない。性転換手術のところには、「細部まで美しい女性に作り上げます」なんて書いてある。



ちなみに「日本語可」と書いてありますが、実際に電話をしたら
「現在日本語を話せるスタッフはいない」
と言われたらしい。なんじゃそりゃ?
いずれにしても日本でもこんな風に堂々と広告が載る時代は来るのかなぁ…?



病室の窓から見える空が夕焼けに染まってきた頃
「そろそろ帰りましょう」。

車でまたアパートへ送ってもらう。

パットさんの運転で戻る途中、交差点をUターンしたところで警官に止められた。どうなるのかと、とってもどきどきする。
「あの交差点はUターン禁止」ということで注意され、免許証を見せていたけど、どうやら同じ地方出身ということで注意されただけで済んだみたい。よかった。

帰ってきたら、少し体がだるくて頭痛。たぶんクーラーにあたり過ぎたからかもしれない。
夕食までまだ時間があったので、2時間ほど眠った。

19:00、食堂のオープン時間に合わせて起きて食堂へ。
今日の夕食は「茄子のはさみ揚げ」。とっても美味しくて、菜々はごはんをおかわりしてパクパク。

ルンピニでは朝食が100BHT、夕食は200BHTだけど、デリバリー弁当と比較にならないほど美味しい。家で作るごはんのようだ。ここで食べていると日本食が恋しいとは思わなくて済むだろう。お店の中だけは日本にいるような感覚にさせてくれる。しかしタイで、ここまで食材を揃え日本の家庭料理を作っているところに関心してしまう。

食べ終えてから、食堂の夫婦とお話をした。タイでお店をはじめて1ヶ月。てっきりタイ語はペラペラなのかと思いきや、取り出して見せてくれたのは「旅の指さし会話帳〈1〉タイ」という本。私たちが持っている本と同じもの。でもさすがに使い古してる形跡が。買い物などもこの本を使って指差しで値切ったりして買うのだそうな。すごい。朝食の準備で朝は4:30から仕込みをするとのことで寝る暇がないと言っていた。良いお茶がなかなか手に入らないのだとも。私達が茨城から来たというと、「納豆」もとても高いのだという話をしてくれた。そういえばタイの人は納豆食べれるのかな?
気が付くともう21時。すっかり話し込んでしまった。「ごちそうさまでした」と言い、部屋に戻る。


今日はトイレに入ったら、術後はじめて「におい」を感じた。昨日の夜まではそんなことはなかったので、本当に突然の出来事。トイレに入るたび、毎回シャワーで洗っているので、汚れてそうなっているわけではなさそうだ。
シャワーと言ってもお風呂場のシャワーではなくて、便器の横に付いているウォシュレットのようなもの。下からノズルが出てくるよりもこのタイプの方が、自分で水の当たる場所を調節できてなかなか良い。



〜〜〜〜

昼に病院でtakeさんと話をした時に、ダイレーションがうまくいかない件を聞いてみた。夕美の場合、初めての時に先生がろうそくを入れた際、5インチ程度入っていたのに、自分でやるようになってからどうしても4インチ程度しか入らなくて、やり方がまずいのかと思っていた。どうやら挿入時に、角度を少しづつ変えていかなければいけないらしい。夜になってゆっくりと実践をしてみる。

最初に買ったアクリルのダイレーターは菜々が使っていたので、夕美はろうそくにコンドームをかぶせて使用していたのだが、ろうそくダイレーターは短くて、角度を変えにくいことがわかった。アクリル製ダイレータは長さがあるので、挿入しながら角度変更がしやすいのと、先端がとがっているので挿入もしやすい。
明日はPAIで最終チェックなので、その時にもう1セット買って帰ることにしよう。ろうそくは洗うとべたべたして気持ち悪いし。

2005年12月13日
帰国前最終チェック


夜中におしっこがしたくて何度か目が覚めた。手術から2週間。時間がかかったけど、ようやく尿意の感覚がわかってきたみたい。

菜々は夜中におばけの夢をみた。とても怖かった。「なむあみだぶつ」と唱えたらフッと楽になった。仏教国だから?そんなことあるのかな?
なぜかわからないけど1、2時間おきに目が覚めた。

朝食に行き、部屋に戻って待機。

今日は帰国前の最終チェックの日なのだ。昼過ぎに迎えに来てもらい、PAIへ向かう。いつも通りの7階へ到着。

突如目の前に現れた外人さんが、派手なジェスチャーとともに日本語で挨拶。
「こんにっちわ〜っ」

どうやらこの人、手術から1週間で、抜糸&ダイレーションを教わるために来ていたフィリピンのMTFらしい。テンション高すぎるって!なんで術後2週間の私よりテンション高いの?


菜々は先日のチェックで帰国OKが出たので、今日は夕美の診察のみ。
30分ほど待たされてやっと呼ばれた。先日のチェックと同じく、中の状態と外の状態を見ると、「通常の傷の治療でOKだろう」とのこと。また少し抜糸をして、中の消毒をしてくれた。

ダイレーターx1セット、KYゼリーx2本、消毒液x1本を買った。ゼリーは1本100BHT。消毒液は200BHT。日本ではいくらするのかなー?

終わってから入院中の2人の病室へ。Mさんはもうパッキンが外れていて休んでいる状態。あとはおしっこが出れば退院できる。PAIのティティさんが来て、菜々がMさんに「消毒の仕方」を教えるようにと言って帰っていった。

Mさんのおしっこが出るまでの間、takeさんと2Fのレストランでお昼ご飯を食べる事に。
病院の食事を作っているところなので、メニューは病室にあるものと同じ。
「今日のランチ」を注文してもらった。そして出てきたのは…、「見た目はただのチャーハン」。少し違うのはご飯の山の周りに野菜がずらりと並んでいる。ライムが付いていて、それを絞って振りかけて食べるとのこと。さっそく試してみる。
「おいし〜!」
チャーハンにライムというのが意外や意外。脂っこい料理にこの酸味を加えると、引き締まった味になった。中華料理にお酢を使うのと同じようなものかな?タイではお酢はあまり使わないそうだが。デザートのフルーツもとても美味しかった。

食べ終わってから病室に戻ったけど、Mさんはまだおしっこが出ていない様子。いろいろやってみるがどうにも出ない。だんだんおなかが張ってきて、すごく痛くなってきたため、断念して再びカテーテルを入れる。SRS後はおしっこの要領も少し違っていて、力を入れると出なくて、逆に力を抜くようにしないといけない。「コツ」と言えるほどのものでもないけど、意識してしまうと出なくなったりして難しい。通常はシャワーを浴びながらおしっこをするとうまくいくらしいのだが、運悪くボイラーの調子が悪くて、お湯も出なかった。今日はもう遅くなったのであきらめ、明日Nさんと一緒に退院することになった。

夕方車に乗ってまたアパートへ戻る。

クリスマスが近いので、BNH病院の1Fにも大きなツリーが飾ってある。



背の高さの2倍以上あるツリーはとてもキレイなのだけど、夜に暗くなってから見ることが出来る街のイルミネーションがとりわけキレイ。街灯が少ないので、暗い景色の中にイルミネーションが浮かんでいて、とても幻想的に見える。ただ、夜でも暖かい(涼しい)ので、「クリスマス」というには少し不思議な感じかな?



そして夕食へ。今日は後のお客は私たち2人だけだとのこと。
食堂の夫婦と遅くまで時間を忘れてずっと話しこんだ。お2人ともパワフルで見習うべきところがたくさん。ご主人はどこに行っても日本語しか使わないらしく、それでいて不思議と現地の人としっかり友達になってしまうそうだ。いつも隣のスーパー「MAKRO」まで歩いて買い物に行くそうで、その途中にバイタクの人がたむろしている場所があるのだが、ここのベンチでタバコを口にくわえると、必ず誰かが火をつけてくれるらしい。そういえばアパートのスタッフの人たちも、このご主人に影響を受けているようで、対応の仕方がみんな日本的。警備員さんも深々とお辞儀したりするし。とにかくとっても不思議な、でもすごく素敵なご夫婦でした。食堂の営業は3ヶ月更新なのだそうで、ひとまず来年2月までは営業中とのこと。それまでにまた一度来れたらいいなぁ…。

長時間立ったまま長話をしていたせいか、帰ってきたら、しばらく動けないほど痛くなり、すぐに一番強い痛み止めを飲んだ。1時間ほどで落ち着いてくる。なるべく同じ姿勢で長時間いるのは避けた方が良いようだ。

23時になり、ダイレーションに使用するコンドームがないことに気づく。急いでコンビニを見てみるが、2つのコンビニは既に閉店。セブンイレブンまではとても歩けないので、今日はもういいや。
そのまま眠った。

2005年12月14日
帰国日 〜12/15までの日記


起きたら夜中の3時だった。尿意で目が覚める。おしっこを溜めすぎると、出すときに少し痛むみたいだ。いつもなら便座にしゃがむとすんなり出るのだけど、溜めると出にくい。結局朝までに3回もトイレに起きてしまった。
昨日の疲れが残っていたせいもあり、朝は目覚ましで起きれなかった。

食堂に行って最後の朝食を食べ、滞在中のお礼をする。連絡先を書いた名刺をいただいた。東京にある会社の社長さんとのこと。


部屋に戻り「朝の作業」。患部を毎日見ているけど、日に日に目に見えて良くなってきているのがわかる。腫れて皮がぴーんと張りつめていたところにも、わずかづつしわがよってきている。腫れが引いてきているということなのだろう。
消毒も終えて、早速帰り支度をする。

それにしても、入院中は一日が一週間にも長く感じられたのに、退院してからの日々の早いこと早いこと。今日帰国するなんて信じられない。と同時にとても寂しくなってきた。
アパートを13時までにチェックアウトすれば追加料金が発生しないとのことだったので、今日は昼過ぎに迎えに来てもらってチェックアウトし、BNH病院へ行ってMさんNさんの退院のお手伝いをして、そのあと空港へ行く時間(20時)まで、takeさんの事務所で休ませてもらう予定になった。

チェックアウト時に、滞在中に使った電話代を清算。出前の注文を数回した程度なので、60BHTだった。
お世話になったスタッフの皆さんの写真をパチリ。



最後は食堂のご夫婦が1Fまで見送りに来てくれました。本当にお世話になりました。


病院へ着くと、今日2人とも退院できるとのこと。ところがNさんのパッキンを13:00に外しに来る予定と言われていながら、待てど暮らせど先生は現れず…。結局来たのは17:00。さすが「タイ式時間」。予定はあてにならない。

あいた時間にtakeさんMさんと4人で、2Fレストランへランチを食べに行った。

夕美がお金を盗られた件に関して、takeさんが病院側に最後まで詰め寄ってくれたようで、食べてる時に病院の人が、日本人の通訳の方を連れて挨拶にきた。捜査が完了したらその時点の状況をメールしてくれるとの事で、メールアドレスを書いた紙を渡した。「お詫びのしるし」だと、なにやらBNHのメモ帳をもらった。

今回「盗難」というトラブルに遭って、つくづく感じたことがある。相手に対してタイ語できちんと交渉できるtakeさんの存在は大きい。
病院には日本人の通訳が臨時職員として存在するが、もしもこれが手術に関するトラブルだったらどうだろうか?病院の通訳はあくまでも病院の職員。病院側に都合の悪い交渉は受け付けないのが当然。実際に入院中に私たちが出した要望は、病院通訳の方から看護婦さんやヘルパーさんに単に「伝えてくれただけ」でしかない。患者の意向を伝達するだけでなく、それに対して相手にきちんと答えを求めてくれるtakeさん。病院の通訳とアテンダンス業者。この違いはとても大きい。


MさんとNさん、2人とも無事に退院することになり、タクシーで先にアパートへ向かっていった。後から私たちもパットさんと一緒にアパートへ。
この時点で時間は既に19:00。ルンピニ・レジデンスまでの道も混雑していて時間がかかり、アパートに着いてからバタバタと皆におわかれをして、空港に向けて出発したのは20:00だった。

バンコク空港まで1時間弱。ターミナルの外でパットさんとおわかれ。滞在中はほとんどしゃべる事もなくて、(パットさんは英語が苦手らしい)この次に、来るときまでにタイ語を勉強して、いろいろ話が出来るようにしておきたいと思った。とてもお世話になった方なのに、お礼の言葉をうまく伝えられないことがもどかしくて、なんとか菜々が片言のタイ語で
「クゥン パット ヂュー カン マイ カァー」(パットさん、また会いましょう)
と言うと、ニコニコしながら
「ヂュー カン マイ カァー」
と返してくれた。


ターミナルに入り、シンガポール航空のカウンターでチェックイン。takeさんに「なるべく足の伸ばせる席」「トイレに近い場所」と伝えてもらい、「スクリーン前の席」をとってもらった。空港の外は駐車禁止らしく、ばたばたとtakeさんともお別れしてしまったので、一緒に写真が撮れなくて残念。本当に本当にお世話になりました。

1人500BHTでなにやらチケットを買い、出国審査のゲートへ。この500BHT、出国時には必ず空港で払うお金だそうです。

到着の時の入国審査の人と違って、少し愛想のよさそうなおじさん。カメラから少し目をそらせたら、
「動くな。カメラを見て!」
と英語で怒られた。実際は聞き取れてないので、本当にそう言ったのかどうかは不明だけどね(^^;なんとなく雰囲気で。


さらに奥へ進み、まずは何か食べる事に。KFC(タイではケンタッキーはKFCとしか書いていない)で、チキンバーガーセットを頼んでみた。目の前で準備している店員さん。トレイにのせてくれたコーラがむちゃくちゃおっきい!こんなに飲めないよ!これサイズはなんていうんだろう?3Lくらい?席に着いて食べ始めると、チキンがやけにからい。タイ風なのかな?


その後お土産を見てまわる。高い!手持ちの残金では手が出ない。結局、お土産は定番のドライフルーツになってしまった。


23時頃の出発まで時間があるので、搭乗ゲートまでの〜んびりと歩く。
歩いている最中に目に付いた看板。非常口マークは日本とずいぶん違うなぁ…。流れるプールから上がったところみたいだ。



待合所の座席に座っているのはどうやら日本人ツアー客らしく、聞こえてくるのは日本語ばかり。

搭乗ゲート前に到着し、椅子に腰掛けるが、この椅子がすごく座り心地悪い。高さがやけに高くて、地に足がつかない。座っていると傷口付近がじんじんと痛くなってきた。こうなってしまうとドーナッツクッションは役に立たない。


1時間ほど待ってやっと搭乗。機内はとても寒〜い。何でこんなに冷房を効かせているのか不思議だった。
22:55出発、と思いきや時間調整の為20分ほどその場で待機。23:15分やっと動き出し、離陸したのは23:35だった。

上空に上がっても、とにかく寒くてミノムシのように毛布にくるまった。
脚を動かせるスペースがある席だったので、帰りは痛み止めを飲み、体をちょっとづつ動かしながらだましだまし5時間半。
ドーナッツクッションも機内に持ち込んだものの、結局最後まで使わず仕舞い。高度12,000メートルまで上昇するので、クッションが結構膨らんでいたのには焦った。もし破裂しちゃったら、機内は大パニックになっちゃいそう。


日本上空が見えてきて、いよいよ成田着という時に着陸30分前の機内アナウンスが聞こえてくる。
「ただいまの成田の気温は-5度でございます」
え〜?さっきまで27度近い場所にいたのに…。考えただけで体が凍えてきた。


そして6:40、成田に到着した。日付はもう12/15になっている。
ターミナルに着くと…
「さむ〜〜〜〜〜〜い!もうだめだ〜」
とにかく寒いこと寒いこと。傷にこたえる。防寒具は薄手のパーカーと厚手のデニムジャンバー1枚しかなくて、足元は素足にサンダル、寒いはずだ。


通路をずっと歩いて入国の窓口へ。あちこちに日本語の案内を見つけると、日本に帰ってきたことを実感する。

先日タイで鳥インフルエンザによる子供の死亡が確認されたとのことで、入国手続きは厄介かもと思っていたが、すんなりOK、ちょっと拍子抜け。「検疫」と書かれた黄色い紙に、アンケートを書くだけで済んだ。

ゲートを抜け、預けた荷物を取ってから、茨城までのリムジンバスの発券カウンターへ。バスの時間を聞いたら、なんと5分前に出発してしまったとのこと。それじゃあ飛行機降りて走らなきゃ間に合わないじゃん。時間設定もうちょっとなんとかしてくれればいいのに。まぁほとんど利用しない私がそんなことを言えた立場ではないけど^^;
しょうがないので姉に連絡して迎えに来てもらう事にした。

空港の売店でホットドックとコーヒーを買った。ついつい日本語が通じない錯覚にとらわれて躊躇してしまう。食べながら暖房の近くのベンチに座って迎えを待った。
1時間半ほど待機して迎えに来てくれた車で、家路につく。もちろん暖房を最強にしながら。
久しぶりの日本の景色。なんだかみんな新しくてキレイな車ばかり。大型トラックがやけに多く感じる。

家に着くと、いぬねこがきょとんとしながら迎えてくれた。しばらく会っていなかったから忘れてしまったのかな?そんなことはないか…。

くたくただったので、ひとまず夜まで寝る。2週間で家の中は冷えきってしまっていて、ねこたちも風邪をひいて、鼻水ずるずるだった。

夜になり、ずっとエンジンをかけていない車が動くかどうかの確認も含め、外へ買物へ出かけた。今日から節約生活の再開なので、一通り食料品を買い込む。
帰りに姉の家に寄ったら「なんの手術を受けにタイに行ったのか」誰一人知らなかったことが判明。まぁいいけどね。


改めてこういう手術をしたと説明したら、
「え〜そんな手術して、2週間で帰ってこれるの?」
と不思議そうにしていた。

「タイでは時間がゆっくり流れているから大丈夫なんだよ」
と、適当なことを言って家に向かう。

夜はあたたかいお風呂に浸かってとてもしあわせ…。
久しぶりのベッドは、なんだか狭く感じる。とにかくおやすみなさい。

「SRS日記まとめ」

持ち物について

「手鏡」★(必須アイテム)
患部を映して位置を確かめながら消毒したりするのに使います。化粧コンパクトについているようなものでは、小さすぎて見えにくいので、10cm角くらいのものが良いと思います。100円ショップなどでも買えます。

「シャンプー・リンス」
「はぶらし・歯磨き粉」
病院やホテルのものを使うと有料です。

「カミソリ」
脚とかワキとかのお手入れに^^

「ソーイングセット」
「小さなハサミ」
持っていける洋服は限られていますので、簡単な針と糸を持っていると、いざという時に役立ちます。ハサミも同様。手荷物に入れておくと、空港の検査に引っかかることがあるそうなので注意。

「洗濯用洗剤(旅行用)」
ホームセンター等で、1回分が個別パックになっているものが売っています。洗濯物をコインランドリーで洗うときに、洗剤は別料金なので、持って行くといいかも。

「部屋着」
病院からアパートに移ると、部屋着が必要になります。術後すぐは、ゴムで締め付けるようなものではない方が体が楽なので、パジャマなどはおすすめしません。大きなロング丈のひざ位まで隠れるようなTシャツ等でも良いかもしれません。もしくは上はTシャツ、腰から下はバスタオルを巻くとか?

「下着類」
なるべく締め付けが少ないものを選んだ方が良いです。私たちは、普段はくようなショーツを持ってきてしまったので、ハサミでショーツのゴムを全てカットしてしまいました。

「手提げ」
トートバッグのような形状のもの。ドーナッツクッションを持ち歩くために使う。クッションの直径は42cm前後。浮き輪のように持ち歩いてもよければ、必要なし。

「ゼリー飲料」
ウィダーインゼリーなどが2、3個あると、術後に重宝するかもしれません。体力落ちてるときに「10秒チャージ」できるし?

「暇つぶし」
本とかパズルとか。

「簡単なタイ語の本」
タイ語の本は基本的に必要ないのですが、簡単な挨拶くらいは覚えておくと、病院内の看護婦さんやヘルパーさんとのコミュニケーションに役立つと思います。

「目覚まし時計」
必要ならば。

「その他」
退院時にはスカートやワンピースが必要になるでしょう。やわらかめのパンツなどは、患部に食い込んで痛かったりします。スカートはウエストがゴムになっているものよりも、ひもで結んだり、ホックでとめるものが良いです。いちばん良いのはやはりワンピース。締め付ける部分がないので、とても楽です。


帰国時

「KYゼリー」等はタイで買った方が安いようです。残金に余裕があれば、少し買って帰ると良いかもしれません。婦人科などでも買えますが「保険適用外」です。


今回私たちが選んだTSGCさん。この会社はタイ・バンコクに会社があります。日本からの問い合わせにはSkypeを使えば無料。料金の高い国際電話をかける必要はありません。
担当者の方は日本人なので、自分の意向を日本語で言えば、タイ語で「うまく」相手に伝えてくれます。「通訳ってそういうものでしょ?」と思うかもしれませんが、もしも「日本語の出来るタイ人」が通訳だったらそう簡単にはいかなかったかもしれません。
日記にも記していますが、私たちは今回「盗難」というトラブルに遭ってしまい、この件について担当者の方は、最後まで粘って交渉してくれました。日本人であり、日本語をよく知っているからこそ私たちの希望をより「うまく」相手に伝えてくれる。今回それを強く感じました。

「余計な出費を省いて、良い手術を受けたい」
新しい人生の出発点となる今回の手術で、そんな願いをかなえてくれたTSGCさん
本当にありがとうございました。